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翌日。早起きして数学の問題集を解き終えた俺は、意気揚々と登校した。
きのうはちょっと変な展開だったけど、普通にしてるのが1番かと思って、いつも通りの感じで歩美に声を掛けた。
「見ろ! 全部やった!」
「おっ、すごいじゃん」
よかった。向こうも普通だ。
「でも、一部ちょっと丸暗記気味で、理屈が分かんないまんまやってるから、応用が自信ない」
「どれどれ、見てしんぜよう」
問題集を手渡し、ふたりでのぞき込んだ、その時。
目の端に、白衣がひるがえるのが見えた。
ふいっと顔を上げると、川上先生が足を止めてこちらを見ている。
……え? 見ている?
目が合わないうちにさっとうつむき、問題集をのぞき込む。
歩美が指差すのをふんふんと聞きつつも、ドキドキと心拍数は上がっていた。
もう1度、目線だけ上げる。いない。
心臓に悪いよと思いつつ、頭に『理科100点』と思い浮かべ、自分に活を入れる。
その次の休み時間。
川上先生が教室を間違えて入ってきた。
その次。
廊下の窓から見える位置で、これ見よがしに他の生徒に教えている。
……疑惑は確信に変わり、確信は萌えに昇華された。
気にしてるううううう! 可愛いいいいいい!
昨晩、要らないシーンだとぼやいた俺に、『どうかな』と笑った彼は、知っていたのだ。
自分がやきもちをやいてしまうことを。
そして、そのやきもちが、俺を萌やす燃料に変わってしまうことを。
歩美の謎展開は、要らないシーンどころか、超絶ドキドキ先生萌えフラグだった……!
くそぅ、恐るべし川上春馬。
残りわずかな先生×生徒シチュで、萌やしつくしにかかってきたな。
昼休み。弁当をかきこみながら、時間割を見た。
やばい、テスト前の変則授業で気づかなかったけど、5限目が生物だ。
きょうは歩美に教えてもらうのはさくっと切り上げて、川上先生に余計な場面を見せないでおこう……と思っていたその時。
「……早っ!」
思わずつぶやいてしまった。
俺が弁当を食べ終わるよりも先に、教室に入ってきた。
「川上先生ー! 教えてくださーい!」
群がる女子。
頼む、視界をさえぎる防御壁になってくれ。
いつもは『近寄るな、散れ』と思っている女子どもに、まさかこんなことを願う日が来るとは。
弁当を食べ終えると、歩美がすすっと寄ってきた。
「高野、やる?」
「あ、うん。でも、ちょっと教えてもらえればあとは自分で問題解くか……」
「男子で質問ある人、いませんか?」
川上先生の声が、教室に響いた。
え、嘘でしょ? そんな露骨に?
慌てていると、後ろの方でダラダラ教科書を開いていた陽キャ男子が、「おっ」と言って立ち上がった。
「ラッキー。川上先生いっつも女子に囲まれてて、全然質問できねーんだもん」
あ……そういう配慮ね。
いや、そういう配慮を装ったやつね。
ふいっと見上げると、歩美がニコニコしていた。
「せっかくだから高野も聞いてきなよ」
「あー、うん。そうしようかな」
固まっていた女子がはけたので、流れのままに、男子の列に並ぶ。
あーやばい。
川上先生は常に真顔だからいいけど、俺が顔に出さずに質問を終えられるか、ぜんっぜん自信がない。
数分間並び、前の男子がどいた。
ちょっと深呼吸をし、平静を装って教科書を教卓の上に置く。
頑張れ、俺。一般人ステルスだ。
「あの、化学の質問でも大丈夫ですか?」
顔を上げたら……ぁあああああ!
川上先生、超キュン顔なんですけどおおおおおっ!
少々うつむきがちのまま目線だけ上げてきたら、先生それ、『上目遣い』っていうんですよ。
「……うん。化学でも。どうぞ」
はあ、恥ずかしそうにしゃべらないで。
萌え過ぎて死ぬ。
絶望しながら説明を聞いていたら、川上先生は白衣の胸ポケットからボールペンを取り出し、説明とは関係ない文字をトントンと指した。
『か』
ん? なんだ?
説明は普通につらつら続いているんだけど、先生のペンは教科書の上をよろよろとさまよって、そして次の場所へ着地した。
『わ』
『い』
『い』
「ゴホッ! ゲホッ!」
「あっ……と、高野くん、大丈夫?」
「ゲホゲホ……いや、すいません。大丈夫です」
は!? いや! 大丈夫じゃないし!
なんてことしてくれるんだ……。
恐るべし川上春馬。
でも、これは分かっている。復讐だ。
歩美と仲良さげにしゃべっている俺への報復行為なのだろう。
くそ、可愛い。
川上先生のボールペンが『だ』を指差したところで、俺は大声でお礼を言った。
「もう大丈夫です! ありがとうございましたッ」
ダッシュで列から外れる。
チラッと振り向いたら、他の人には気づかれないくらい、ほーんのすこし、目を細めてこちらを見ていた。
分かった分かった。
春馬さんは俺のこと『だいすき』なのね。
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