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スマホのアラームが鳴る。
寝ぼけまなこで腕を伸ばし、止めた。
習慣的にツイッターを開くと、学生のフォロワーさんたちは皆『終業式~』『きょう行ったら冬休みだー!』などなど、学校の終わりを喜ばしげに書き込んでいる。
俺は、昨晩の電話をぼんやりと思い出していた。
――これで、先生と生徒の秘密の電話は終わり。それじゃあ、またあしたね。おやすみ
最後の晩まで、尊い攻めみたいなことを言うんだから、たまらない。
もそもそと起きだし、丁寧に身支度をして、家を出た。
いつもより20分以上早い。
学校に着くと、校門の前が人だかりになっていた。
輪の真ん中にいるのは川上先生で、相変わらずの真顔で、みんなが口々に話すのに答えている。
最後の授業の日、『終業式の日は、登下校の時間に、門の前に立っているつもりです』と言っていた。
みんなにお礼とか、お別れの挨拶が言いたい……という理由らしい。
近づいてみると、女子の嘆く声や、男子の変なかけ声が聞こえる。
俺は、輪の外から声を張った。
「川上先生ー、おはようございます! あいさつに来ました!」
周りに居た知り合いにちょろちょろ声をかけながら、輪の真ん中に割って入る。
川上先生の真正面に立って、ちょこっと頭を下げる。
「おはよう。わざわざありがとうね」
変わらない真顔、起伏のない声。
だけど、その目がほんのり温かいことは、たぶん俺だけが分かってる。
軽く深呼吸し、精一杯の笑顔で言った。
「川上先生、色々お世話になりました。新しい場所で、頑張ってください」
「ありがとう。高野くん、自然科学部をよろしくね」
「はい。頑張って盛り上げます」
あいさつを朝で済ませることにしたのは、もしこんなことを帰りにやったら、泣いてしまいそうだと思ったからだ。
じゃ、と言って軽く手を振り、その場を後にする。
この後は、学校全体で終業式と、ホームルームで宿題とかプリントを配られて終わり。
帰りは、川上先生のことを見ずに帰る予定。
――去り際は潔く。そうやって、大事なものを守っていくんだ
『No Longer Teacher』の山場で、攻めの先生が言ったことだ。
春馬さんはこれを『人生』と呼んだ。
壇上の川上先生が一礼をして、マイクをオンにした。
「僕はきょうで退職なので、皆さんにごあいさつの機会をいただきました。まずは、お礼を述べさせてください。一緒に学校生活を送ってくれて、ありがとうございました」
頭を下げると、体育座りの生徒達も、同じように頭を下げる。
川上先生は、穏やかな表情で語り出した。
「僕は3年前に、新卒で中野北高校に赴任してきて、右も左も分からないまま、教員生活をスタートしました。3年生のみなさんは、僕が初めて担任を持った学年で、拙いクラス運営を助けてくれたことを、とても感謝しています」
きっと当時は、地味な先生として奮闘していたはずだ。
お父さんお母さんの苦労とか、そういうものを噛みしめていたのだと思う。
本人は、『生徒の成長に良い影響を与えられるような自信がなかった』なんて言っていたけど、絶対、そんなことなかったはずだ。
壇上の川上先生を見つめる先輩たちの顔つきを見て、そう思った。
「1年生のみなさんとは、短い期間の関わりになってしまいましたが、新入生遠足のときに、人懐っこい笑顔でたくさんおしゃべりしてくれたのが……可愛くて仕方がなかったです。思っていることがあまり表情に出ないので、伝わらなかったかも知れませんが、実はそんなことを考えていました」
川上先生は、何を考えているか分からない。
子供が好きそうにも見えない。
あんな内気っぽい性格で、なんで教師なんかやってるんだろ?
何も知らなかったときはそう思っていたけど、心の奥底ではやっぱり、教育に情熱を燃やしていたのだと思う。
「2年生のみなさんは、僕の人生観に関わるようなたくさんの転機をくれました。えーっと……」
川上先生は、ちょっと恥ずかしそうに頬をかきながら言った。
「僕は25年間、おしゃれとかそういうものと無縁だったんですけど、ある日、何だか流れで教えてもらって、こういうのも楽しいんだなと知ったというか……」
「きゃー!」
「川上先生かわいー!」
女子の黄色い声が飛ぶ。
川上先生は、さらに恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「それがきっかけで、他のこと、教員としてのあり方とか、私生活でも、自分の凝り固まった考え方がどんどんほどけていくような感覚がありました。何か変えるたびに絶対に新しいことを教えてくれるみなさんが、とても温かいなと……感謝しています」
激萌え白衣イケメン先生に変わって、群がりまくっていた女子達だったけど、川上先生が徐々にやわらかな雰囲気に変わっていったのは、女共のおかげだった気がする。
散れ、なんてよく思っていたけど。
でもやっぱりどこかで、川上先生が生徒に慕われている姿を見るのは、微笑ましくもあった。
それに、男子は男子で、とっつきやすくなった川上先生にじゃれていくような感じもあった。
うちの学年は、陰キャも陽キャも、ほんわかしている。
川上先生にとっては、きっと癒やしだったと思う。
たくさん、俺の知らないことがあった3年間だったはずだ。
それに本当は、60歳で定年するまで、まだまだ長い教員生活があったはず。
夢を叶えてたった3年で、川上先生は、それを全部捨てた。
捨てでも、と、俺を選んでくれた。
川上先生は、体育館をぐるりと見回し、ほーんのちょっぴり、笑った。
「楽しい思い出をありがとうございました。みんな、元気でね」
その瞬間、体育館にいたほぼ全員が、涙腺に大型トラックが突っ込んで大破したみたいな感じで、大決壊してた。
その後のホームルームも壊滅的だったし、何かもう、冬休みの宿題が何だったのか……たぶん誰も把握できてなかったと思う。
下校のチャイムが鳴って、俺は教室を飛び出した。
校門の前に人だかりを見つけてしまったら、ダメになる気がしたからだ。
ダッシュで中央線に乗って、新宿を回って小田急線・代々木上原駅へ。
走って走って、春馬さんのマンションに着いた。
鞄のサイドポケットから、革のパスケースを取り出す。
初めて合鍵を使うのはきょうにすると、決めていた。
ちょっとドキドキしつつカードキーをかざすと、ガチャッとロックが外れる音がした。
そっと、真っ暗な室内へ。
当たり前だけど、誰もいないこの部屋に来るのは初めてだ。
しんとしていて、変な感じ。
電気をつけて、コートとブレザーは定位置にかけて、そのままもふっとベッドにダイブする。
たくさん泣いてた疲れた。
もしかしたら飲み会になるかも知れないと言っていたし、帰るのは遅いかも知れない。
早く会いたい気もするけど、お世話になった先生たちとちゃんとお別れして欲しいから、来ていることは特に知らせないことにした。
冷えた布団にもぞっとくるまり、そっと目を閉じる。
春馬さんのにおいをかすかに感じて、ほっとした。
泣き疲れて寝てしまうなんて子供みたいだ……と思いながら、いつ寝たかも分からないくらい、自然に眠ってしまったらしい。
「みい、ただいま」
「ん……?」
目を覚ましたのは、19:00過ぎ。
コートを着たまんまの春馬さんが、ベッドの縁に腰掛けて、俺の頭をなでていた。
「……おかえり。ごめん、寝てた」
ごろっと寝返りを打ち、立ち上がろうとしたら、春馬さんの方が俺の横にぽすんと寝転がった。
「帰ってきたら、可愛い子が寝てるんだもん。びっくりしちゃった」
「ごめんね、勝手に入って」
「ううん。ここはみいの家だよ」
寝ていた子が想像以上に可愛かったからびっくりしたのだと、春馬さんは言った。
「飲み会は?」
「また後日、忘年会と兼ねてやりましょうってことになった。だから、普通に最後のお仕事をして帰ってきたよ」
「お疲れさま」
春馬さんが、俺の手に冷たい手を重ねて、そのままそっと握ってくれた。
「みいの手、あったかい。やわらかいし」
その声色が愛しくて、ちょっと赤くかじかんだ春馬さんの手に、小さく口づけた。
春馬さんはくすくすと笑って、俺の手に同じようにしてくる。
そして、腕ごと引っ張って、むぎゅっと俺を抱き寄せた。
「みい。あのね、僕いま、分かったことがある」
「なあに?」
顔を上げようとしたけど、さらに強い力でむぎゅっとされて、顔が春馬さんの胸に押し付けられる形になってしまった。
春馬さんの声が、胸骨を伝って、直に響いてくる感じ。
春馬さんは、どんな大事なことに気づいたんだろう。
そっと耳を澄ませると、彼は、穏やかにこう言った。
「萌えるって、こういうことなんだね。BL歴十数年で、初めて知った」
「ん? 萌えた?」
「うん。とっても。みい、可愛い。キュンとするし、萌える」
すっごく大事なことに気づいてくれて、うれしい。
「萌えた状態でキスしたら、めちゃめちゃキュンとするよ」
「試していい?」
腕がゆるまったので、そのままちょっと、顔を上げた。
口がくっつくギリギリのところで、寸止めされる。
「可愛い。大好き」
こんなシンプルなセリフだって、春馬さんが言ったら……。
ふにっとやわらかく、くちびるがくっついた。
この世の全てのBLを読み尽くしても、このちっちゃなキスに勝つキュンなんて、見つけられないと思う。
<6 No Longer Teacher 終>
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