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「今回の出張に同行させていただくことになりました上野孝弘 です。現地での通訳とサポート全般を担当することになっています」
凍りついた祐樹にかまうことなく、彼は控えめな笑みで名刺を差し出した。動揺で目を合わせることができず、微妙に口元のあたりに目線をさまよわせる。
初めましてとは言われなかった。
だが忘れているはずはない。
投げられた目線の強さでそれはわかる。けれども、その内心を読ませない完璧な笑みを作っている相手に、どんな言葉を返せばいいのか。
これは初対面のふりをしておくべきなのだろうか。
いやでも、あれから五年も経っているのだ。
孝弘にとっては祐樹のことなどすっかり過去で何とも思っていないのかもしれない、などと思考は空回りしながらも、トラブル続出の中国取引で鍛えたポーカーフェイスを総動員して習慣的な動作で名刺を受取り、自分も返そうとして胸元をさぐってはっとする。
ジャケットは席で脱いできてしまったのだ。
「すみません。名刺入れを置いてきてしまって」
動揺を押し隠しつつどうにかそう口にすると、緒方がつつかれたように笑い出す。
「なんだ、高橋。覚えてないのか? お前が五年前に通訳に雇った上野くんだよ。ほら、最初の北京研修のときに」
それを聞いて、そうだったと思い出す。
祐樹が孝弘にアルバイトを頼んだ当時、緒方はやはりこの海外事業部の課長で、祐樹自身が話を通したのだ。
ここにいる全員が、五年前の北京で知り合っていることを了解しているのだ。
緒方の口からそれがわかったことで最初のパニックはおさまり、なんとか笑みらしきものを浮かべて、もらった名刺に目を落とす。
心臓はバクバクしたまま、まだまともに孝弘の顔を見ることができない。
はじめてもらった孝弘の名刺は、日本語と簡体字で名前と連絡先がはいったシンプルなものだ。会社名がないということはフリーということだろうか。
「いえ、覚えてますよ。私が頼んで来てもらったんですから。初めての中国で右も左もわからないところを、お世話になりましたしね。でもそれ以来だったので驚きました」
そっと息を吐いて腹に力を入れて顔を上げると、ようやく正面から目を合わせた。真っ直ぐに視線がぶつかって、祐樹は表情を変えないように意識する。
あいまいに目線をそらさないところは以前と変わらない。強い視線に押さえこもうとした動揺が見透かされる気がする。
記憶にあるより大人びた顔にどきりとした。
あのとき19歳だったのだから、24歳になるのか。
体格のよさに加えて初めて見るスーツ姿もあいまって、大人の空気をまとった孝弘はまるで知らない人のようだった。
「こちらこそ、高橋さんにはいろいろお世話になりました。あの時、アルバイトをさせてもらったことが今の仕事につくきっかけになったようなものですから、本当に感謝しています」
かつて見たことのないさわやかな笑顔で、緒方に向かってそんなことをいう。
これは何か含むところがあるのかないのか。
孝弘に対して後ろめたい気持ちを持っている祐樹は、ついその笑顔の裏を読もうとしてしまう。たった一度だけ体を重ねた相手に、孝弘がどんな感情を持っているのか祐樹にはわからなかった。
あんな別れ方をして、孝弘は祐樹を恨んでいるかもしれない。
少なくとも、いい感情を持たれているとは思えない。
来週からの出張は工業特区の視察や工場の選定、原材料調達の見通しまで含めて約三週間の日程が組まれている。そのすべてに孝弘が同行するのだ。
祐樹は人知れず、ため息を押し殺した。
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