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「いや、もっと北京観光っていうか、すぐ目の前が天安門広場だし故宮博物館とか毛沢東記念館とか色々あるけど」  今いるホテルから、歩けば5分とかからずに着く。  そっちのほうがよっぽど喜ばれるのでは? 「いいんだ。市内観光に来てるわけじゃないから」  でも祐樹はあっさり言って、今までのところ上野くんのガイドは完ぺきだよ、と人の悪い笑みを浮かべる。  そんな表情をすると王子さまが悪だくみをしているようだ。 「観光客向けじゃない北京を知りたいんだ。ごく普通の中国人の感覚をね。日本人にはよく知られていない一般人の生活というか、価値観というか」 「今日のガイドでわかりました?」 「うん。色々びっくりした。少なくとも常識というか、感覚がまったく違うんだってことは理解できたよ。それを踏まえて色々検討することになるだろうね。責任者に日本人が派遣されても、現地で働くのは中国人だから彼らの感覚をわかっていないと仕事にならない」  なるほど、それでごく普通の中国を知りたいと言うリクエストだったのだ。 「あの二人もきっとそう思ったと思うよ。だからあそこで留学生の上野くんに出会えたのは、本当にラッキーだったな」  今度は天使の笑みを浮かべるから、孝弘は困惑した。  表情一つで、こんなに印象が変わるって詐欺だろ。  その後、若い子たちが買うような服飾関係の店を見てみたいと客の二人がいうので、地下鉄に乗って西単(シーダン)へ移動した。  窓口に並んで切符を買うのは当然のように孝弘がする。  列に並ぶときは隙間があるとすぐに割り込まれるので、前の人にぴったり肩をくっつけて並ぶのだ。見知らぬ他人に接触されるなんて、日本人なら驚くか嫌悪感をもつ距離感だ。  ペラペラの紙の切符は買った直後に改札に立っている駅員に回収されて、ぞろぞろと階段を下りる。 「けっこう普通だね」  ホームの様子は日本の地下鉄とさほど変わらない。 「まだできたばかりですよ。というか、まだまだ延長工事中というか」  「へえ。案外、きれいなんだ」  乗ってみれば車両の中は心配したほどでもなかったのか、三人はきょろきょろと車内を見ている。ステンレスの車両はぴかぴかで、地上を走るバスやトロリーバスよりよほど清潔だ。 「市内の移動には環状線はけっこう便利ですよ。渋滞しないし、タクシーとちがって道を指示しなくていいし。一律二元で安いですし」  駐在員が安さを求めるとは思えなかったが、道について心配しないでいいのは気が楽だろう。  あの列に並んで切符さえ買えれば言葉も必要ない。 「タクシーなのに道を教えないといけないのか?」  ふしぎそうな顔をする客に向かって、孝弘が説明する。 「特に言わなくても大体着きますけど、外国人とか道を知らなさそうな相手だとすぐに遠回りするんで、どの道で行くか指示したほうがいいんです」 「うわ、そういうこと?」 「はい。一度間違ったふりでどこかに行って、それからまた目的地に行くとかもよくあります」 「はー、なんか気が抜けない国だな」  客がげっそりした顔で言う。 「地下鉄環状線って、二環路の下なんだ」  路線図を見ていた祐樹に「そう、だから便利だよ」と孝弘はうなずいた。  西単に到着して地上に出れば、ずらりと並ぶ露店の竹竿や吊り紐に所狭しとたなびく商品陳列方法に感心するやら驚くやら。  狭い路地に迷路のように露店がひしめき合っている。 「スリに気をつけてくださいね。人前で財布ださないように。お金は俺が出しますから」 「わかった。お任せするよ」  日本人より地声が大きいので、売り子と買い物客の交渉する声で露店周辺はたいへんな喧噪だった。パッと見、怒鳴りあっているように見えるが、これが普通のやり取りだ。

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