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「ビールかコーラかインスタントコーヒーしかないけど、どれがいい?」
「いや、おかまいなく」
「ビールとコーラはちゃんと冷えたやつだから」
「どうやって?」
部屋には冷蔵庫もテレビもない。この国のどこでも見かけるお湯用の保温瓶は床に直置きしてあるが、電化製品は机のうえの小さなラジカセだけだ。
「同じくらいの時期に留学した奴らに声かけて、五人で割り勘して洗濯機と冷蔵庫買ったんだ。で、冷蔵庫は隣の一人部屋のとこに、洗濯機は洗面所に置いて共同で使ってる」
祐樹は思いつかない使い方だったので、それを聞いて目を丸くした。
「冷蔵庫、人の部屋に置いてるの?」
「うん。寮内にいれば部屋はたいてい開けっぱだし、閉まってたら諦めるだけだよ」
「清々しい割り切りかただね」
面白いなあと祐樹は感心した。これも生活の知恵というのだろうか。
暑いしビールでいいよね、と返事を待たずに取ってきた五星 ビールを渡されて、おとなしくプルタブを開けた。
気持ちのいい天気で、昼に飲む冷たいビールはおいしかった。孝弘はベッドに座って、やはりビールを開けている。
六月のからりとしたさわやかな風が開け放した窓から廊下へと吹き抜けた。
目隠し代わりの赤い布がぱたぱたと揺れて、学生たちの声があちこちから聞こえる。北京語や韓国語や英語や日本語の会話が楽しげに響く。ここで孝弘は暮らしているのか。
寮生活の不便や留学生の文化のちがいで起こる小さな事件のあれこれを聞きながら、ふしぎな気分に祐樹はひたった。
平日の自分が過ごしている駐在員社会と孝弘のいる留学生社会、そのありようのあまりの違いにちょっと異世界に来たような気分になる。
孝弘を通じて別の世界に招待されたような、夢のなかに入り込んだような。
なんていうんだっけ、こういうの。
白昼夢? 胡蝶の夢?
「上野 、戻ってる?」
カーテンをめくって突然入ってきた男が孝弘に呼びかけ、持っていた鍋を手渡した。
「アンディがサンキュってさ」
祐樹をちらりと見て、かるく会釈する。
「あ、ぞぞむ。王老師 が作文、水曜までに出せって」
やべ、忘れてたと彼は顔をしかめて、机の上のプリントをバサバサとどけ始める。彼が孝弘のルームメイトらしい。
「ぞぞむ?」
思わず祐樹がつぶやくと彼はにやりと笑った。明るい人好きのする笑顔だ。
「どうも、上野の同室 の佐々木、北京語で佐々木 です」
「ああ、それでぞぞむ」
「ちなみに隣の寮にもう一人佐々木がいて、そっちはぞわぞわって呼ばれてます」
祐樹が思わず声を上げて笑うと、孝弘が「ぞわぞわは女子なんだけど」と情報を加えた。二人の遠慮のない感じがルームメイトの親密さを垣間見せる。
「高橋です。おじゃましてます」
「ああ、例のバイトの」
佐々木は事情は知っているという顔でうなずくと、自分の机の上を引っ掻き回して、雑誌を何冊か持つとごゆっくりと言って出て行った。
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