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「どこって?」 「食堂はいくつもあって、中国人学生用と職員用と留学生用に分かれてるんだ」 「ああ、人がそれだけ多いから?」 「そう。学内に学生用は四つ、職員用が三つあって、いちばんおいしいのが学生用の第二食堂」 「食堂によって味が違うんだ?」 「うん。メニューも違う。でも学生用はさすがにちょっと」 「やっぱり学生じゃないとダメだよね」  祐樹の言葉に孝弘はあっさり首を横に振った。 「ううん、高橋さん、ぜんぜん学生に見えるよ」  それは喜んでいいんだろうか。 「ていうか身分証見せるわけじゃないから誰でも入れるし。学生用食堂だとご飯買う時はまずホーローのお椀持って行くんだ」 「お椀持って行く?」 「そう。そこにご飯とおかず2、3こ選んで、ぶっかけ飯みたいに食べる。食堂広いけど、学生数も多いから外で食べる人が多いよ」  職員食堂や留学生食堂だと食器は用意されているが買い方は同じだと言う。食堂のきれいさは留学生食堂がいちばんらしい。中国の食事マナーでは食べかすはテーブルに置くのでどうしてもそうなる。 「そんなに汚いの?」 「まあ習慣が違うから」 「そうだよね。前に上野くんが学食にも北京ダックあるって言ってたから、それ食べてみたかったんだけど」 「ああ、あれか。だったら平気だな」  学食と言っても、学内にあるレストラン扱いの店だと言う。  連れて行ってもらったら広くて殺風景な店で、学内の送別会や食事会などに使うらしく、ちゃんと店員がオーダーを取りに来た。 「へえ、ほんとにあった」  専門店のように皿の上にきれいに並んでいるということはなく、切った順にぽいぽい置いたぜと言った適当さだ。 「俺はこれしか食べたことなかったよ。北京ダック専門店なんて、あれが初めてだったし」 「そうだったんだ。でもこれもおいしいね」 「うん、こっちもどうぞ」  孝弘が屈託なく笑って、京醤肉絲(ジンジャンロウスー)を勧める。代表的な北京料理だと言うが、日本人も好きな味付けだった。祐樹の生活ではこういう料理は意外と食べられない。  その後、本屋に案内してもらって孝弘お勧めのテキストを二冊買った。  孝弘自身が去年使って、とても役立ったと言う。祐樹の中国語レベルは本当に初心者で、まだ買物もおぼつかないくらいだ。  家に帰ってシャワーを浴びたあと、テキストをめくってみた。  北京に留学して来た学生が徐々に生活に慣れて行くというストーリー仕立てのテキストだ。入学式、寮の説明、買物の仕方、バスの乗り方、北京観光など生活に必要な場面の会話がたくさん出てくる。なるほど、わかりやすい。  テキストの学生生活を目で追いながら、娯楽的なものがほとんどなかった孝弘のシンプルな部屋を思い出す。必要最低限のものしか持たず、それでも本人はいたって気楽にその生活を楽しんでいる。    そのたくましさがいいなと思う。  ポジティブでチャレンジ精神があって物怖じしない。  異文化を受け入れる心の広さと明るさがある。  数年後、どんな大人になるか楽しみだと祐樹は孝弘に会うといつも思う。  いい子だな、一緒にいると楽しい。  それ以上の感情は持たないように、注意深く心をコントロールする。  学内を歩いているとあちこちから声を掛けられていた。  日本語も英語も中国語もちゃんぽんで会話する孝弘は生き生きして恰好よかった。あんなふうに会話できたら楽しいだろう。  封筒からもらった写真を出した。ツーショット写真を眺めて、祐樹は微笑む。孝弘の自然な笑顔がとてもいい。  次に会えるまでにすこしは会話できるようになっておこう。  写真をしまいながら、祐樹はそう決心した。

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