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第7章 ざわつく気持ち

 そこで祐樹に会ったのは、まったくの偶然だった。  朝陽区にある五つ星ホテルのディスコは、週末の夜11時以降は50元で飲み放題のサービス価格になる。それを目当てに留学生や若手駐在員が集まる交流スポットだ。  孝弘は同寮のフランス人留学生から、ここで見かける日本人に声をかけたいから一緒に来てと頼まれた。つまりナンパの手伝いだ。  あの子だよとこっそり教えられた相手が顔見知りだったので、「久しぶり」と声をかけて紹介した後は、お互いが気に入れば多少言葉が通じなくてもどうとでもなる。  しばらく三人でつたない北京語とそれよりましな英語交じりの会話をして、適当なところで孝弘はトイレと言ってその場を離れた。  フロアの向こうから二人の様子を見ると、寄り添うようにしてスツールに座っている。  楽しそうに笑っているからもう戻らないことにした。やれやれだ。  ライムの刺さったコロナビールの瓶を持ったまま軽く店内を見まわして、他大学の友人も来ているから朝まで遊ぶか、どうせ飲み放題だからもう少し飲もうかと思案していたら、ソファ席にもたれている人の横顔に目が吸い寄せられた。  祐樹だった。  ミラーボールのライトが目まぐるしく点滅するなかでも、浮かび上がるようにぱっと目に飛び込んできた。  どこか退屈そうな物憂い表情は、孝弘が見たことのない大人の雰囲気をまとっている。仕事帰りらしくスーツ姿だ。  気だるげにネクタイを少し緩めていて、さらりと落ちてきた髪をかきあげる仕草が色っぽく見えて、あらためて年上だったことを知らされた。  ソファ席には祐樹を含め男女四人がいて、一組はカップルなのかじゃれ合うように笑って肩を抱いていて、祐樹にはべつの女性が寄り添ってなにか話しかけている。  どうしてだか孝弘の胸がざわめいた。  そんな無防備な顔でぼんやりしてるなよと思う。楽しそうには見えないが、それでもそこに入っていって声をかけるのはためらわれた。  留学生仲間ならいざ知らず、相手は社会人で同席しているのがナンパ相手なのか同僚なのかもわからない。この前話していた積極的な女性だろうか。  でもここはやっぱり知らないふりするべき?  孝弘がためらううちに祐樹が立ち上がって、カウンターに近寄ってゆく。  何を考える間もなく、孝弘もカウンターに向かう。 「こんばんは、高橋さん」  祐樹がカウンターでグラスを受け取ったところで声をかけた。 「上野くん?」  振り向いた祐樹が驚いた顔をする。 「何飲んでんの?」とグラスを指した。  トムコリンズと聞こえたので、空いた瓶を返して同じものを頼んだ。カクテルはほとんど飲んだことがない。  グラスを手にしたところで、待っていた祐樹がソファ席には戻らずにカウンター席に身振りで誘った。背の高いスツールに隣合わせに座る。  音楽がうるさいので、自然と近い位置での会話になって身を寄せ合う。  肩がかるくぶつかった。耳元に顔を寄せられて、ふわりと届いた香りに孝弘は一瞬どきっとする。  フレグランスだろうか。柑橘系の爽やかな香りがした。

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