32 / 157

7-3

 祐樹に目を戻した孝弘はシャツの胸ポケットに赤い箱が入っているのに気づいた。中国たばこだ。赤い箱なら中華(ジョンホァ)北京(ベイジン)紅塔山(ホンターシャン)か。ていうか吸うんだ。  ちょっと意外な気がする。何度か会って、けっこう長時間一緒に過ごしたが、祐樹は一度もたばこを口にしなかった。だからてっきり非喫煙者だと思っていた。 「たばこ、吸うんだ?」  胸ポケットをさして問うと、ああと言いながら首を横にふった。 「接待たばこだよ」 「接待たばこ?」  話を聞くと、中国人との話のきっかけにたばこを勧めるのに使っているようで、自分で吸うためではないらしい。  先輩駐在員の教えだといい、面子たばことして相手からもらった場合は、吸わなくても断らずにふかさなければいけないのがちょっと面倒、と顔をしかめた。  へえ、知らなかった。会社員の世界にはそんな習慣があったのか。 「どうする? 高橋さん、もう帰る?」  グラスが空いたところで訊くと、うなずいたので孝弘も一緒に店を出た。騒がしかった店から出ると、外は驚くくらい静かに感じる。  時計を見ると深夜2時。 「ここ、よく来るの?」 「月イチくらい? 誘われたら来るって感じ。北京にはこういう店はほとんどないから、洋楽好きとか踊るのが好きな留学生はけっこう来てる。日本人より欧米人のほうが多いかもね」  ホテルのロビーまで出て、タクシー乗り場へ向かう。 「タクシーだよね? こんな時間に寮に入れるの?」 「門限は12時だから正面のドアは閉まってるけど、まあなんとかなるかな」 「なんとかって?」 「1階の洗面所の窓のカギ、壊れかかってるんだ。たいてい開いてるか、開いてなくても外からたたくと開く」  それを聞いて祐樹は微妙な顔をした。  不用心なと思ったのか、そんな泥棒みたいなこととでも思ったのか。 「よかったら、うちに泊まる?」 「女の子は連れ帰らないのに?」  孝弘の冗談に、祐樹はそうだねと声を上げて笑う。 「さっきの小姐(シャオジエ)(おねえさん)より上野くんのほうが好みかな」  その軽口にドキッとする。 「いいの? 迷惑じゃない?」 「べつに。あした休みだしゴルフの予定もないし。上野くんがよければ」  何の下心も感じられない口ぶりだった。ごく単純に遅くなったから泊まっていけばと友人を誘うテンションだ。  当たり前だ、男相手にどんな下心を持つんだか。  思ったより酔ってんのかな。でもなにげに上野くんのほうが好みとか言われたし。いやいや、初対面の小姐よりはってことだろ。  やっぱり酔ってるだろ、俺。  コロナビール2杯とカクテル2杯ってけっこうキてる?  きょうは祐樹がタクシーのドアを開け、孝弘を乗せてドアを閉め、ホテルから十分もかからずマンションに着いた。

ともだちにシェアしよう!