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第10章 縮まる距離
数日後、二人は食堂のテーブルに向かい合って座っていた。
祐樹がごく一般的な家庭料理を食べてみたいと言うので、孝弘イチオシの安くてうまい大衆食堂に案内した。
「手纸 は?」
言いながら、孝弘がメモ用紙に字も書いていく。
料理を待つあいだ、中国語クイズで勉強タイムだ。
「トイレットペーパー」
「じゃあ、中国語で手紙は?」
「信 」
「汤 は?」
「スープ」
「じゃあ、お湯は?」
「开水 」
「んー、じゃあ开心 は?」
「なんだろ、開く心だから、頼る?」
「はずれ、楽しいって意味。我很开心 って使う」
「楽しいなのか、覚えとこ」
「工作 は?」
「職業。働くって意味もあった?」
「そう、合ってる。总经理 は?」
音だけでは理解できなかったのか、祐樹はメモをのぞいて孝弘の書いた文字を確認する。
「えーと、総経理だよね、社長?」
「正解。じゃあ、日本語の経理にあたるのは?」
「えー、知らないな」
「会计 だよ」
「そうなんだ」
「飞机 は?」
「飛行機」
「出差 は?」
「出張する」
「仕事っぽい言葉は覚えてるんだな」
「わりと使う、というか聞くからね」
「そっか。じゃあ、娘 は?」
「娘 ? …女の子?じゃないよね、知らない」
「娘 はお母さん、だよ」
「ほんと?」
あ、かわいい。祐樹の目が丸くなった。そんな顔をするといつもより幼く見える。
この顔が見たくて、孝弘は祐樹が知らなさそうな中国の話をいろいろ教えてしまう。
「ほんと。テレビ見てたらよく出てくる。時代劇とか家族物のドラマとか」
「あ、そっか、上野くんがお勧めのドラマで聞いたよ。名前かと思ってた」
孝弘の書いた文字を指先でなぞって、ふふ、と笑う。
「娘なのにお母さんなんて、へんな感じ」
「中国人の友達もおんなじこと言ってたよ」
「そっか、中国人にとっても逆の意味になるのか」
「じゃあ、日本語の娘は中国語で?」
「え、と。なんだっけ? ……老婆 ?」
「はずれ、女儿 。老婆 は奥さんだね」
「そうだった。おばあさんの意味はないんだよね。知ってたのに。はー、混乱する」
祐樹が頭を振りながらまた笑う。楽しそうな笑顔。
「ああ、今だよね。我很开心 (とても楽しい)」
にっこり笑う祐樹に、孝弘も気持ちが弾む気がする。
「我也一样 (俺もだよ)」
孝弘がいたずらっぽい笑みを浮かべて、じゃあこれは?と文字を書く。
「爱人 」
「これは知ってるよ、妻あるいは夫」
「じゃあ、日本語の愛人、不倫相手は中国語では?」
笑ったままの孝弘に祐樹が眉を寄せて首をかしげる。
「えー? それは知らない、何だろう?」
「第三者 」
孝弘はゆっくり発音しながら、紙に文字をつづった。
「ホントに?」
書かれた文字を見て、祐樹は思わず孝弘の顔をあおぐ。
「真的 (マジで)」
孝弘の笑みが深くなる。
「ね、なんだか奥が深いと思わない? 愛人が正妻で第三者が不倫相手ってさ」
漢字が書き散らされたメモ用紙を指でとんとんと叩く。
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