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 仕事は順調にはいかなかった。  今回の出張はいろいろ面倒かもしれないと事前に部長の緒方から耳打ちされていた通り、中国側の思惑にあれこれ振り回されているというのか、予定変更のやたら多い事態になった。  孝弘も渡航前にある程度事情を知らされていたようで、不満も愚痴もいわず淡々と仕事をこなしている。  評判通り孝弘は語学だけでなく、さまざまな書類やチケットの手配にも手馴れていた。移動の足の確保や視察先や宿泊先の急な変更にもかなりスムーズに対応している。  デジタル化が進んでいない中国でのチケット手配や諸々の予約は大変で、正規の方法では手に入らないことが多い。  旅行社で買えない場合、闇チケットを探すことになるのだが孝弘はそういうつてをちゃんと持っていた。  孝弘が優秀なコーディネーターであることは疑いようもなく、出張が始まった最初の一週間で、祐樹をはじめ同行スタッフからの信頼を勝ち取っていた。  同行スタッフには今回、中国は初めてという技術部門の社員もいて、彼らにとって中国の現状は驚くべきものだったようだ。  しばしば呆然と、あるいは憤慨する彼らの姿を見て、祐樹は5年前の初めての北京研修を思い出し、それにつれて孝弘との思い出がよみがえるのをほろ苦くかみしめた。  今よりもっと不便だったあの頃の北京で孝弘と過ごした時間は、祐樹にとって息抜きにも救いにもなっていた。  駐在員社会だけでは知り得なかった一般庶民に近い目線の北京を見せてくれたのは孝弘で、その思い出を祐樹は胸の奥に大切にしまってあった。  仕事の場において、孝弘は過去を持ち出すそぶりはいっさいなかった。  スーツ姿で通訳として仕事をしている孝弘を実際に目にして、祐樹はどうしても孝弘に意識が向くのを抑えられなかった。  まるで世慣れた大人の顔をして与えられた役割をこなしている孝弘は、控えめにいっても恰好よくて、つい目が引き寄せられる。  祐樹はそんな自分に気づいてうろたえた。    今回、東京からは祐樹を含め四人のスタッフが中国入りしていて、視察やミーティング、相手方との顔合わせや会議など、つねに誰かしらと行動をともにしている。  孝弘とは毎日、打合せをして横にいる時間は長かった。  とはいってもプライベートな話をする時間の余裕はなく、祐樹は五年前のことを孝弘がどう思っているのか尋ねることはできないでいた。  仕事中、何度もふしぎな気分になる。隣を見るとスーツ姿の孝弘がいて、一緒に仕事をしているのが信じられなかった。  祐樹は自覚していた。  また孝弘に会えてうれしいのだと。もう二度と会うことはないと思っていたのに。こうして毎日顔を見られることが本当にうれしいと思っている。  でもそれを表に出すことは決してできないと十分に承知して自制していた。

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