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「これは余計なお世話かも知れませんが」  孝弘がそう言い出したのは帰りのタクシーの中だった。 「この契約先、あまりお勧めできないと思います」  本命と目されている契約先との懇親会を兼ねた夕食会を終えたところだが、孝弘は憂い顔だ。懇親会の席では当然、契約先の幹部をはじめ市政府の役人も同席していて、日本の大手企業との契約に前向きな感触だったのだが。 「具体的にはどんな所が?」  ほろ酔いの青木が真面目な顔になって尋ねた。 「よくある話ですが、ここの市政府は共産党の大物政治家の宋一族で占められていて、その意向ですべてが決まります。現在のトップはそのなかでも長老クラスの息子一族が占めています」  その説明を聞いても青木はぴんと来なかったようだが、祐樹には孝弘の言いたいことがわかった。 「かなりの賄賂が必要になる?」 「それもあるでしょうが、心配なのは政治的な問題です。去年の香港返還の混乱以来、党内の統制が図れていなくて、その動向次第では会社どころか一族もろともこけかねない状況のようです。今までかなり強固な独裁体制を敷いていたので反対勢力も大きいらしくて」 「つまり政治的な圧力や混乱があるってこと?」 「はい、党内の勢力争いが激化していて、宋一族の汚職や賄賂の件を暴露する準備もあるようです」  改革開放政策を進める中国では利益至上主義が暴走して、一部の特権階級が富を独占し、その専横ぶりは目に余るものがある。  宋一族の専横を告発しようとする不満分子の抑え込みに宋一族はやっきになっているらしい。 「それを抑えて勢力を安定させるためにもこの契約を急いでいるようですね」 「でも下手すれば会社どころか、政治的な責任を取らされて一族もろとも潰される可能性があるってことですね?」  祐樹の言葉に孝弘は平然とうなずき、青木は黙り込んだ。 「それは確かな情報?」  孝弘は市政府の中心人物の名前を上げた。  宋一族とは表立って対立していないが、その人物が水面下で告発の準備をしているという。 「そうか。本社はどう考えるかな……」  今回の出張の責任者である青木は、隣に座る祐樹を見やった。 「緒方部長はこちらの事情はある程度は了解しているでしょう。でも党内の勢力争いの件は知らないかもしれません。政治が絡むと厄介ですよ」  こういうところが中国進出の難しい部分だ。 「そうだな。……まずは本社に報告しよう」  青木がため息をついたところでホテルに着き、祐樹と青木はひとまず緒方と連絡を取ることにした。  もう一台のタクシーに分乗していた技術部門の社員二人は、中国の乾杯続きの食事会にぐったりしていて、孝弘が部屋まで送ると付き添って行った。彼らは明日には北京に戻り、その二日後に東京に戻る手はずになっている。  一週間の中国滞在でもその憔悴ぶりは目に見えていて、孝弘は二人の体調やメンタルにこまめに気を配っていた。  仕事とは言え大変だなと祐樹はその背中を見送った。

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