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「高橋さん、ここまで?」  さらさらと髪をなでながら、キスを落とされる。 「ん。あしたも早いし」  言い訳にもならない祐樹の台詞にすこし笑う気配が届く。 「わかりました」  最後にちゅ、と音をたてて頬にかわいいキスをすると、孝弘はすんなりと体を起こした。  夢から覚めたような気分で立ちあがる。現実感がないまま、カーペットを踏んでドアまで歩いた。  何を言えばいいのかわからない。  ドアノブに手をかけて振り向いて、結局口にしたのは無難な挨拶だった。 「じゃあ、おやすみ」 「おやすみなさい。ゆっくり休んでください」  孝弘はおだやかな笑みで祐樹を送り出した。  自分からそう言ったのにあっさり終わられて、祐樹はなんだか肩透かしを食った気分で廊下を歩く。  もっと求められたかったのか、強引に押されたかったのか。  さっき気づいた自分の本心に問いかける。  いや、二人きりになって話してみかったけれど、その先までは想像していなかった。というより、想像するのが怖かった。  五年前に孝弘の手を拒んだのは祐樹自身なのに。  あんな断り方をして傷つけて、ようやく振り切った相手だ。今さらどうこうなれるとは思わない。  孝弘はたぶん、昔の気持ちに引きずられたのだ。  そして自分も。  ぎゅっと手を握って気持ちを引き締める。  これ以上の関係にならないよう自重しなくては。  孝弘は仕事の関係者で、もう一緒に遊んだ留学生じゃない。  いずれにしても、この出張が終わればまた別れて会うこともない。いや、通訳としてまたどこかで出会うかもしれないが、それはきっと先の話だ。  祐樹のついたため息が静まり返った廊下に落ちた。

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