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怪我人相手に何をしてるんだか。
はっと思い出して、話題を変えた。
「そうだ、昨日から、安藤さんが来てくれてるんだ。青木さんが一足先に帰国して」
「え? 安藤さん?」
途端に孝弘がうろたえた。
孝弘のそんな顔を見ることがめったにないので、祐樹はちょっと新鮮だった。都合が悪いことでもあるのかと勘繰りたくなるような反応だ。
すこしバツの悪そうな顔で、孝弘はベッドのうえに視線をさまよわせた。
「ひょっとして、安藤さんから何か聞いた?」
「うん。少し」
あのおっさん!と孝弘が天をあおいだ。
「どんなこと?」
「んー、上野くんがずっと北京事務所でアルバイトを続けてたこととか、専属のお誘い断ってたこととか、今でもときどき安藤さんとご飯食べに行く仲だとか」
これは言っていいものか迷ったが、きょうにでも安藤自身が目の前で言いかねないと思ったので口にする。
「5年前の帰国の時、おれに失礼なこと言って連絡取れないって言ってたこととか」
言いながら、そっと孝弘の表情を窺う。
孝弘はちっと舌打ちをしたが、はっとしてごめんと謝り、続けてと言った。
もっとも孝弘が確かめたいことはこれなんだろうと思いながら祐樹は口を開く。
「あと、上野くんが去年、安藤さんにうちの会社の通訳をやりたいって連絡したこととか」
孝弘はため息をついたが、顔は苦笑に近かった。
照れたような困ったような表情だ。
「理由を訊いてもいい?」
祐樹の問いに孝弘は質問で返した。
「なんでそんなこと知りたいんだ?」
以前の自分がよく使った手だった。
孝弘からの質問に答えられず、よくそうやってはぐらかした。自分がされてみて、そのもどかしさを思い知る。あのころの孝弘もこんな気持ちを味わっていたのだろうか。
悪かったなと思う。
年下だからと侮ったつもりはなかったが、そうやってあしらっていたのは事実だ。だから素直に気持ちを告げた。
「上野くんのことが知りたいから。もっとちゃんと君と向き合いたいって思ってるから」
孝弘が強い目線でまっすぐに祐樹を見つめた。
どういう意味か測っている視線に祐樹は頬が熱くなるのを感じた。
孝弘が何か言おうとしたとき、ノックの音と同時に扉が開いた。ふたりとも不自然なくらいびくっと体がはねて飛び離れたが、入ってきた看護師はふたりを見て安心したような笑みを浮かべた。
「あら、目が覚めたのね。本当によかったわ」
検温と投薬、点滴などをてきぱき済ませて医師を呼びに行く。
その間に、祐樹は安藤に連絡を入れた。
早朝にたたき起こされたが安藤は文句を言わず、さすがにほっとした声を隠せなかったようで、何度もよかったと祐樹に言って、すぐに行くと電話を切った。
やってきた医師は、祐樹が紅包 をはずんだせいか、丁寧に孝弘を診察して問題はなにもない、まったくの健康体だと太鼓判をおした。
念のため一日様子を見て、何もなければ明日には退院していいと言葉をもらって心の底からほっとした。
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