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第44話 嵐の前~義経(牛若丸)の決意~

「いかがなされました?」    土佐昌俊の襲撃の翌日、方々に文を書き終わった義経-牛若丸は愛妾の静を傍らに呼んだ。   「言っておかねばならぬことがある...」 「なんでございましょう?」    静は色白の面をいささか強張らせて義経をみつめた。昨夜の襲撃の名残がまだあちこちに残っている。相当に怖かったであろう、と慰める義経に   ―殿がご無事でようございました― と気丈に答えたがその顔はひどく青ざめていた。 ―済まぬ...― と胸の中で深く詫びながら、義経は切り出した。 「私は、兄上、鎌倉様の敵になった」 「はい...」 と小さな唇が震えながら答えた。 「私には、どうしても守らねばならぬものがある。それゆえ、この生命を失うことになるやもしれぬ。だが......」 ―守りたい。守らねばならぬのだ―  牛若丸は、ぎゅっ......と拳を握りしめた。  梶原景時が対面を求めてきた時、義経は呆然とした。頼朝が自分を憎んでいることは薄々とは察していた。しかし、義経を怒りに駆り立てたのはその事では無かった。 『遮那王さまが、剣を見つけ出し鎌倉殿に献上なされば......』  遮那王は、景時の言葉に眉をひそめた。 『鎌倉に入ることも許されぬ私が、献上などできようか』 『義経さまではなく、遮那王さまがお持ちになればよろしいのです』  義経は、その言葉にかっ......と眼を見開いた。 『兄上は、頼朝さまは遮那王さまのお命までも取るおつもりか?!』  自分を庇った、それゆえに断罪するつもりなのか......どこまで兄は我れを憎むのか、と歯噛みした。が、続く景時の言葉は、義経を絶望から怒りへ駆り立てた。 『殿は遮那王さまのお生命を取るおつもりはございません。殿がお望みは、遮那王さまの忠心.....。義経さまもお分かりでございましょう』  義経の脳裏に、あの光景が蘇ってきた。忌まわしい、唾棄すべき光景...。  鎌倉にいた頃、頼朝は義経を遣いに遮那王を呼び寄せていた。遣いに赴く度に遮那王は眉根を寄せ、だが黙ってともに来てくれた。  しかし、案内した梶原景時の屋敷の一画に待ち受けていた頼朝の成したことは......。 『我れは、その方の側女ではない!』  と憤る遮那王を褥に抑えつけ、無理無体としか言いようのない浅ましさで雄の欲望のままに遮那王の肉体を貪り蹂躙していた。その間、牛若丸は隣の間でずっと控えているよに強いられた。景時に―止めさせてくれ―と頼み込んだことも少なからずあった。が、景時は決まって、冷ややかに牛若丸を突き放した。 『遮那王さまは、義経さまの半身。なれば、遮那王さまが殿のお褥を務めらるるは、義経さまの忠心を示すことと同じ。それに......』  景時は、淡い灯火の下で淫らに揺らぎ、しなる遮那王の肢体を御簾越しに一瞥して言うのだ。 『遮那王さまは、男に貫かれることを嫌うておいでにはならぬご様子.....。ほれ、あのように甘いお声をおあげになって.....。もう気をお遣りではありませんか』  侮蔑的なその言葉に、牛若丸は何度、この下衆な輩を殴り倒したいと思ったか......。遮那王が肌を許すのは、神の、魔王の力を示すために過ぎない。それゆえ、主導権は遮那王にあらねばならなかった。にも関わらず、不本意な凌辱を義経の為に耐えている......。それは義経にとって許し難い己のが罪だった。  だから、義経の京への出立とともに遮那王が鎌倉を離れた時には、心底から安堵した。   ―もう、あのような事は、させない―  鎌倉に戻ることがあったら、自分の働きと引き換えに遮那王の解放を求めるつもりだった。  にも関わらず、頼朝は義経を鎌倉から締め出し、遮那王を捧げ物として差し出せ、というのだ。 ―赦せぬ......―  弟である自分の思いを踏みにじっただけでなく、大切なものを全て剥ぎ取り、蹂躙しようというのだ。 ―それだけは....―  させぬ。と義経は唇を噛んだ。尊大なようで、どんな時でも、盾となって、自分を助け、守ってくれた『兄』を鬼畜に売るようなことはできない。 ―そうだ。遮那王さまこそが......―  まことの兄弟なのだ。だから護らねばならない。 ―そのためなら、如何ようにも頼朝と鎌倉殿と戦う。―  それが、義経の『決意』だった。  静は哀しげに、だが凛とした声で答えた。 「殿は、私の大事なるお方。その殿が生命を賭してでも守りたいと仰せになる。なればお止めはしますまい。私はどこまでも殿のお味方にございます」 「静......」  義経は差し出された静の手をきゅ.....と握りしめた。人の温もりが、そこにあった。    

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