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第48話 都落ち~難破(二)~
朝廷から四国-九州の地頭に任ぜられた義経が船を調達し、大物浦から出航したのは、十一月も半ばを過ぎた頃だった。
「これで、大丈夫なのか?」
義経の家人がかき集めた船は、先の海戦を潜り抜けたもの、まがりなりにも形こそしっかりとはしていたが、痛みが無いとは言い難い状態だった。不安がる叔父の行家に、溜め息混じりに苦笑いして、義経は答えた。
「致し方ありますまい。我らは鎌倉に楯突いた身、何時、謀叛人に堕とされてもおかしくはないのですから、敢えて良き船を差し出すことを躊躇ったとて、責められますまい」
京の周辺の豪族達は、慎重だ。これまで賽の目のように変わる朝廷の倫旨にどれ程振り回されてきたか......迂闊に動くことを躊躇うのも無理はない。
秋も深まり、海を渡る風も冷たく荒々しくなっていたが、義経達に践み留まっている余地は無かった。それでも、なんとか波の静かな日を選んで出航した。
―少しでも....少しでも西に....―
頼朝や鎌倉の耳目を引き付けねばならない。
義経は甲板に立ち、鈍色の海をじっと見つめていた。よしんば九州に辿り着けずとも、四国の西端には辿り着きたかった。
が、義経のその願いは叶わなかった。
大物浦を出て幾ばくもせぬうちに、海が荒れ始めたのだ。凄まじい風と波が船を襲った。
木の葉のように波に揉まれ、立っていることも出来ない、義経の目に写ったのは、波間から突き出される数えきれないほどの血塗れの腕だった。
大渦の中に引き込むように蠢く数多の魍魎の怨嗟に引き摺られるように船は渦に引き込まれていった。
―もはやこれまでか......―
唇を噛む義経の耳に雷のような声が太く突き刺さる。
―義経、待っておった。お前も水底に沈むがよい...―
ふと眼をやると、血塗れの鎧武者が、背に負った碇をどっかと甲板に叩きつけた。
―知盛......―
かっと見開いた瞳に、もはや死を覚悟した。
途端、義経は強烈な雷のような光に打たれた。
―遮那王さま.....兄上...―
薄れゆく意識の狭間に美しく凄烈なその姿が、妖しくも優しい微笑みが、瞼に浮かんだ。そして、義経は気を失った。
―――――――――
次に瞼を開けた時、義経は自らが何処にいるかわからなかった。
―死んだのか.....?―
それにしては身体が重い。指先を動かすと微かに砂を掴んだ。首を巡らせると、慧順と静が覗き込んでいた。
「静.....慧順.--私は...生きているのか?」
花の顏が涙ながらに頷いた。よく見ると、浜に打ち上げられているのは、義経と静、慧順に郎党がひとりふたり...。
「叔父上は?」
身を起こして問うても、皆、首を振るばかりだった。
「私達のようにどこかの浜に打ち上げられているのではありませんか?」
静が義経を宥めるように言った。
「もう駄目だ.....と思った時、何やら大きなる手に船が捕まれるのを見ました」
郎党のひとりが言った。
「大きなる鬼のように見えて、もう駄目かと思いましたが.....」
その手が、船ごと義経達を浜に投げ出したという。
「助けてくだされたのか......いったい誰が...?」
義経は訝ったが、ともかく浜が何処かを確かめて先に進まねばならぬ。
ふと、慧順の目が見開かれた。幾人かの僧侶が粛々と歩み寄ってきたのだ。
「九郎さま、お迎えにあがりました。」
「誰じゃ?....そなたらは?」
慧順がごくりと唾を呑んで、聞いた。やはり、ここは浄土なのか......とふと思った。が、先頭の僧侶が恭しく言った。
「私どもは、天王寺の僧にございます.....ささ、これに...」
「天王寺?難波か......」
完全に押し戻されたことに義経はひどく落胆した。そして、肩を落として僧侶に着いていった先に、思わぬ姿を見つけ、眼を見開いた。
「遮那王.......さま....」
「この......馬鹿め......」
金色の眼が溢れる滴に濡れていた。涙声で声を詰まらせながら、走り寄ってきた。
「あ...に..上、兄上.....」
膝から崩れ落ちる義経の背を遮那王の腕が優しく抱きしめた。義経は両の眼から涙が溢れるのを止められなかった。
「馬鹿な真似をしおって......」
義経の頭を抱き抱え、遮那王も泣き崩れた。
傍らに佇む弁慶と眼には化生であるはずの遮那王が、まことの菩薩のように見えた。
そして、義経は初めてその胸がこの上なく暖かいことを知った。
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