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第49話 義経追討~頼朝~

 その頃、鎌倉の頼朝は、上洛の準備を進めていた。先に執権の北条時政を入京させ、状況を確認させていたところに、義経ら一行の船が嵐に合い難破したとの報が入った。 「生死のほどは?」 「定かではありません......が、行家殿ほかの生存が確認されておりますれば、おそらくは......」  景時の言葉に頼朝はにやりと口許を歪めた。 「生きているか......」  頼朝は義経が九州に辿り着いていれば、それはそれとして、九州の有力豪族を支配下に入れる機会として踏まえていた。 ―義経の味方をするものは、鎌倉の敵。―  恭順するものとしないものを選別する、謂わば『道具』として義経を見ていた。最終的には奥州藤原氏という強大な勢力を討つ―そのための大事な『駒』だった。 ―それまでは、生かしておくか......―  いずれ頼朝が日ノ本の武士の頭領として絶対的な支配を行うには、奥州藤原氏は倒しておかねばならない敵だった。義経が頼朝の意のままに恭順していれば、義経にその討伐を命ずるつもりだった。主たる自分を取るか自分を匿い養ってくれた秀衞をとるか、煩悶の後にどのような選択をするか量ってもみたかった。 ―それはそれで見ものであったがのぅ......―  だが想定外に義経の離反は早かった。と同時に頼朝の鎌倉政権に対し、一番の『厄介者』が何か...を明確にした。   『朝廷』とその頂点に立つ『後白河法皇』だった。 ―あの天狗めを抑え込まねばならぬ―  朝廷にとって義経は、武家政権を確立しようとする頼朝を牽制するための『駒』だった。 ―哀れな奴よの......―  義経は極めて純朴だった。それゆえに政事の駆け引きや謀事などには疎い。疎いが故に利用されてしまう。戦の場で華々しい戦果を上げたぶん、尚、利用されやすい存在となった。 ―大人しく奥州に引っ込んでおれば良かったものを.....―  だが、それでは平家討伐にもっと時間を要してしまったであろう。義経は頼朝にとって実に頃合いの良い道具として懐に飛び込んできたのだ。 ―あれはどうとでも使いようがあろう。問題は...― 「遮那王はどうした?」 「探索はさせておりますが.....」  景時は恐縮して身を縮めた。鞍馬に送った密偵...まずは、義経を殺し損ねた土佐昌俊に鞍馬山に逃げ込ませ、様子を探らせたが、 『奥の院には行ってはなりませぬ』 と僧達に阻まれ、密かに踏み入ったところ、深い霧に閉ざされて進むもならず、なおも進もうとして獣に襲われ、ほうほうの体で逃げたという。 「他の者達にしても同様にございます」 「では、まだ鞍馬におるのだな」 「それはなんとも......」  景時はひたすらに平伏して、言った。時政の従者にも探索をさせたが、やはり遙として知れない。 「まぁ、良い」  都へ行けば、自ら姿を現すであろう、と頼朝は踏んでいた。さすれば、義経の延命を餌に捕らえて、囲い込み、思うがままにすれば良い。 ―剣の捜索も儂自らさせれば良いのだ―  頼朝は急ぎ上洛の準備を整えさせた。    ―義経の前に灸を据えておかねばならぬのは...―  まずは、朝廷の者達に鉄槌を下しておかねばならぬ。 ―誰がこの日ノ本を統べるのか―  大いなる転換を実現するためには、全てを振り捨てて挑まねばならない。 ―義経の不幸は儂の弟に生まれたことじゃな.....―  頼朝は凍てついた面のまま、ひそりと呟いた。      

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