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第51話 逃亡~大和路(遮那王 一)

 義経一行は、難波から近江を経て大和へと向かい、遮那王と弁慶は逆に和泉へ下り、大和へ至る道を取った。和泉から大和への道は山越えの続く険しい行程である。信貴山を越え、大和葛城山を経て二上山の麓に至る。その道筋には古寺、古社がひっそりと佇んでいる。 「何やら異界に立ち入ったようじゃ」    信貴山の寺に宿を頼み、荷を降ろして、弁慶は深い靄の立ち込める大和の地を見下ろした。 「さもありなん。大和は半ば異界のようなものゆえな」  遮那王は苦笑しながら、炉に薪を投げ入れた。 「此方には古き御霊が有象無象おる。......古えにカムヤマトイワレヒコが建国の詔を致してから、桓武帝が、京に都を移すまで、数多の政争が重ねられてきた。.....謂わば古き怨霊達の棲まう異界の都のようなものだ」 「そうなのか......?」  眼を剥く弁慶に遮那王はうっすらと笑い、勢い良くはぜる炎を見つめながら、頷いた。 「古き御陵が数知れずあるばかりでなく、古刹-古社の類いは表向きは民の信仰のためと言いつつ、荒ぶる御霊を鎮めるために建てられたものも多い」  ふぅ......と息をつく弁慶を白魚の如き指先で招き寄せ、その膝に頭を凭れさせる。 「明日は葛城山の神に詣でる」 「葛城山の神?」 「一言主じゃ。」   「かつて都に疫病が流行った折に、何処ともなく現れ、不吉なる予言をしたという、あの一言主か」 「そうじゃ。もともと黄泉路の神、黄泉津大神の御遣いゆえな」  遮那王は眠たげに瞼を閉じたまま、呟いた。 「頼んでおきたいことがあるのじゃ......」 「何を.....?」  と言いかけて弁慶は口をつぐみ、微笑した。遮那王の形の整った鼻が、すぅすぅと小さな寝息をたて始めていた。傍らにあった上衣を華奢な肩に着せかけ、そぅっ......と膝を抜き、行李を、頭の下に敷いた。  もぞ.....と遮那王の身体が動き、唇が微かに動いたが、そのまま静かになった。弁慶は炉に薪を足し、古鍋に水を満たして鉤に掛けた。道筋でもいだ丁子を二つ三つ、皮のまま鍋に入れ、山菜、茸を加え、川で取ってきた魚を捌いて煮込む。 「良い匂いじゃ......」  眼を瞑ったままの遮那王の呟きに、耳許で囁く。 「目が覚めたら、食え。....暖まるぞ」  にっこりと色白の頬が微笑み、弁慶の衣の裾を引いた。 「なんじゃ?」 「煮えるまで、お前も寝すめ」  弁慶は苦笑いながら遮那王の頭をそっと撫で、傍らに横になった。 ―幼子のような我が儘を言う......―  それが無性に可愛かった。時に人智を超えた計り知れない妖力を見せつけながら、平素の遮那王はいたいけな子どもそのままな姿を晒す。  妖し気に、淫靡に獲物を贄を誘いながら、だがその本性は、ただ人肌に、人の温もりに抱きしめられることを希む。 ―だからこそ愛おしい......。―  巷に右往左往する人間よりも余程、無垢に思える。 ―お前は、俺の......鬼の念持仏じゃな―  くすっ......と、遮那王の頬が幸せそうに、笑った。  翌日、葛城山での祈祷を済ませ、二上山に向かったふたりは、紅葉の綾錦を別け入るようにして山頂に向かった。 「ここも、御陵じゃ」  遮那王は途中で手折った榊に幤をくくり、苔むした石の碑の前に据えた。 「誰か祀られておるのか?」 「大津皇子というお方じゃ。持統帝の世にも謀叛を疑われて弑された」 「土を盛って御陵を作らずに、山に葬るとは、なんぞ意図でもあったのかのぅ...?」 「御霊を封じて、平城の都の護りとしたのよ。持統や古代の帝がよく行った『呪』よ」 「帝が『呪』をするのか?」  驚いたように尋ねる弁慶な、遮那王は事も無げに言った。 「古代の帝は、皆『巫覡』じゃ.....神と繋がる者が帝だったのじゃ」  遮那王の指が印を組み、その唇が『呪』を唱え始めた。唄うように囁くように、高く低く節をつけて言葉を紡ぐ。  静寂のうちに密やかに流れるそれが、最高潮に達したと思われた時、碑の後ろの盛り土から、一筋の光が天に向かって伸び、『呪』の終わりと共に、消えた。 「何をしたのだ?」 「御霊の『呪』解いた。皇子の御霊を天に帰した。」 「良いのか、そんなことをして.....」  畏れ戦く弁慶に遮那王は、ふ......と鼻で笑って言った。 「怨みを抱えた人の御霊を封じ込めて作る護りなど碌なものではない。それを崩すのも我れの役目よ。」     ほうっ......と息をつく遮那王の傍らで椋鳥が一際大きく鳴いた。  「急ごう。五條の御方がお待ちじゃ」  

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