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第55話 逃亡~吉野山 惜別~

 ほどなくして、一行は吉野山へ向かった。  既に山には雪が降り積もり、粉雪が激しく吹きつける風に舞っていた。 「春には桜が見事と聞いておりますのに.....」  厳しい山越えの道に、手弱女の静は足を縺れさせ、道行きは過酷なものになっていた。 「義経...」    遮那王は、意を決して義経を招き寄せた。 「此れにて静とは別れよ。互いのためぞ」 「遮那王さま......」  口ごもる義経の傍らで、静も唇を噛んでいた。  遮那王は、静を見やって言った。 「そなたは元は白拍子。義経と離れて捕らわれたとしても、生命を取られることは無い」  遮那王の、義経の母の常磐御前がそうであったように、本来的に白拍子の静は、義経の愛妾であったとしても、それ自体を罪に問われることは無いのだ。 「けれど......」  静がきっ.....と顔をあげて反駁した。 「私には義経さまが全てでございます。私は心の底から、義経さまを慕っておりまするのに.....」  遮那王は、表情を変えもせず、まっすぐに静を見据えて、言った。 「なれば尚更、義経の足を鈍らせるは、その生命を危うくすると分からぬか?.....お前に真があると言うなら、義経を生かすことが一番の大事では無いのか?.....真を示すなれば、こちらの方を降りれば室生の寺がある。そこにて待つがよかろう」  静は俯き、唇を噛んだ。そしてはらはらと涙をこぼして言った。   「わかりました。.....私は此にてお暇いたします。なれど、.....私の真は変わりませぬ。いつまででもお待ちいたします」 「静.....」  拙い足取りで戻っていく静に思わず手を延ばす義経を遮那王の声が制した。 「追ってはならぬ!義経」 「遮那王さま.....」 「先を急ぐぞ」  物言いたげな義経に眼もくれず、すたすたと歩き出した遮那王の背に引き摺られるように、一行は後に続いた。    「遮那王!」  吹雪き続く雪に静の後ろ姿も見えなくなった頃、弁慶が遮那王に鋭く耳打ちした。  遮那王は頷き、後ろを振り返ると、小声で叫んだ。 「走るぞ!」  急な事に戸惑いながら足を速めた一行の傍らの山肌から金属が擦れる音が響いた。 「追っ手か!?」  黒い衣に身を包んだ僧兵達が柄物を手に山肌を次々に駆け降りて来た。 「走れ!牛若!」  遮那王は、叫びながら、一人の僧の刀を奪い、斬り伏せた。弁慶もかかってきた僧を引き倒し、薙刀を奪い取り、次々と薙ぎ払う。  駆け降りてくる追っ手を片端から斬り伏せ、撥ね飛ばし、義経達は無我夢中で駆け抜けた。 「もう大丈夫なようだな......」  追っ手を振り切って岩陰に身を潜め、息を殺す義経達に遮那王と弁慶が辺りを見回して、言った。義経も慧順もその場に座り込み、深く息をついた。 「油断するな。.....一息ついたら、行くぞ」  疲れ果てた義経達を平然と見下ろす遮那王と弁慶には息の乱れすらない。 「遮断王さま......」 「しっかりしろ。静は殺されはせぬ。縁があればまた逢える」  見上げると既に雪も止み、遮那王の横顔は雲間から覗く夕陽に照らされて、ひどく眩しかった。  義経は立ち上がり、ぐっと拳を握りしめた。 「先を急ぐぞ」  郎党を振り返り足を踏み出した。 ―静......―  仰ぎ見る山塊はどこまでも静謐を湛え、白銀に全てが覆われていた。  義経達はなんとか吉野山を抜け、辿り着いた多武峰にしばしの間、身を寄せることになった。  一方、静はやはり追っ手に気付き、蔵王堂に身を隠したが、捕まり京に送られた。  しかし、京の尋問にも鎌倉での詮議にも、詳細を話すことは一切無く、しらを切り通した。 ―私には私の真がございます.....―  静は、遮那王の眼差しに正面から挑む覚悟を決めた。 多武峰にひと時、身体を休めた義経達に静捕縛の噂が届いたのは年が明けての事だった。 ―北条時政どのが詮議なさるも要領を得ず、雪が溶けるのを待って鎌倉に送られるとのこと......―  頭を下げる郎党に、義経は眼に涙を浮かべていたが、遮那王は口許に薄笑いを浮かべた。 「遮那王さま.....?」  訝る一同に、遮那王は凜とした口調で言った。   「静め、なかなかやりおるではないか。我れも負けてはおれぬのう.....」 「遮那王さま、それは如何な意味にございますか?」  言葉の出ぬ義経に代わって慧順が問うた。 「分からぬか.....」  遮那王は、軽く溜め息をついた。 「義経、お前の行方を悟らせぬために、必死なのだ。鎌倉に着いたとて、おそらく口は割るまい。 お前を生かすために、あれもまた、生命を賭けておるのだ」  義経の目が見開かれ、その眼から涙が溢れ落ちた。 「静......」  遮那王は、その様を一瞥して、すく.....と立ち上がった。 「出立するぞ、義経。雪が止んでいるうちに先に急がねばならぬ.....あそこは山も深いゆえな」 「あそこ?」 「伊勢に降りる前に、ちと立ち寄るところがある」  

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