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第57話 鶴岡の舞い~静と政子~
一方、吉野で捕らわれた静は、京での詮議が終わると鎌倉に送られた。頼朝が直に詮議を行う.....という。
「そなたが静か.....」
頼朝は、鎌倉に着いた静を一瞥すると、踵を返し、北条泰時に尋問を命じた。
「やはり.....遮那王さまではございませんでしたな」
傍らに付き従う景時が、ひそ...と囁くと頼朝は忌々しげに眉をひそめた。
「やはり、あやつは義経とともにおるのか、それとも......」
密かに鞍馬山に人をやって探らせたが、遮那王のいた堂は藻抜けの空であったという。
―あの容姿であれば....―
女に化けての道行きとて不自然にも見えない。義経が愛妾の白拍子を伴っていると聞き、もしや....とも思ったが、頼朝の憶測は外れた。
尤も吉野の山中で捕らわれた様を聞くだに違うことはわかっていた。
頼朝は、泰時の詮議の合間に、自ら静の元に行き、密かに問うた。
―そなた、遮那王を存じておろう。あやつは何処におる。義経と一緒か?―
だが、静は―そのような方は存じ上げませぬ―の一点張りだった。
「あの女は知っておるのよ。だが口を割らぬ.....」
「遮那王どのが、九郎どのにとって大事なる方と知っておいでなのでございましょう」
頼朝はううむ...と唸り、黙り込んだ。
景時には頼朝の遮那王に対する執着が一方ならぬことを知っていた。神器の奪還など口実に過ぎぬ。義経が、ただただ遮那王を取り戻したがっていることは、あからさまにわかる。
景時は深く溜め息をつき、頼朝に言った。
「良い手がございます.....」
弥生のある日、満開の桜の下、静は鶴岡八幡宮の社頭に舞姿で平伏していた。
―そなたは舞の上手と聞く。鶴岡八幡宮の神に舞を奉納せよ―
と頼朝に召し出されたのだ。頼朝を初め、鎌倉の重臣達の居並ぶなか、顔を上げると、ふと見物人の中のある女と目があった。
―そなたの真を示せ.....―
静の頭の中に遮那王の言葉が甦った。静は確信した。
―遮那王さま、私の真、とくとご覧あそばせ―
そして、すっくと立ち上がり、ゆるゆると舞い始めた。
『吉野山 峰の白雪踏み分けて入りにし人の跡そ恋しき』
『しづやしづ しづのおだまき繰り返し 昔を今に成すよしもがな』
鎌倉を頼朝の政権を言祝ぐべき奉納舞の場で、堂々と義経への思慕を謡いあげたのである。
―義経さま、遮那王さま、此れが私の真にございます―
命懸けの舞いだった。ふと目をやると女の姿は無かった。が、耳の奥に
―天晴れなり...―
と遮那王の声が聞こえた。静は清々しい思いで顔を上げた。
「おのれ、白拍子風情が、儂を愚弄するか!」
当然のことながら、頼朝は激昂し、静の成敗を命じようとした。
だが、意外にもそれを止めたのは、他ならぬ頼朝の正室、政子だった。
「私とて、殿が流人としてあった時に、父に裂かれても闇夜の雨を突いて、殿の元に走りました。石橋での挙兵のさいには、殿の敗戦を知り、伊豆の山中に籠り、ひたすら殿の無事を案じておりました。今の静の心中と同じでございます」
政子は、敵である頼朝に捕らわれても義経への思慕をはっきりと舞に込めた静を貞女と讃えた。
―貴方のお心を長年苦しめたあのお方とは違うのです―
常磐御前と静とは違う。真のある女子なのだから.....と言葉を尽くし、頼朝を宥め、場を収めた。
―ほう......これも大した女じゃのぅ.....―
傍らの銀杏の木の陰で様子を窺っていた遮那王は、ほっ......と息をつき、その場を離れた。
四散する見物人に紛れて、鶴岡八幡宮を出ようとしたその時だった。
「そこの女、待て」
と背後から声がかけられた。聞き覚えのある声だった。ゆっくり振り向いて被衣の裡から覗くと、やはりあの男だった。
―景時か.....―
ちっ.....と遮那王は内心で舌打ちをした。武家の身形で傍らにいた弁慶も身を強張らせた。
「何処の者じゃ。名乗られい!」
―やはり、罠か.....―
わかってはいた。が、わかってはいても、義経のために静の真を見定め、万が一には命を助けてやらねばならぬ.....と鎌倉に足を踏み入れたのだ。
「さ、早う.....」
じりじりと景時が迫る。弁慶が刀の束に手をかけようとした。その時だった。
「何をいたしておる」
女の声だった。景時が振り向いて、跪いた。
「北の方さま.....」
政子だった。遮那王と弁慶も咄嗟に平伏した。
「そのお方は、私の客人じゃ。景時、殿がお呼びじゃ。早う参れ」
政子の有無を言わせぬ凛とした声音に、景時は一言も返すことが出来ず、その場を走り去った。
平伏する遮那王と弁慶に政子は静かに歩み寄った。
「ご安堵召されましたか.....」
遮那王は、はっ.....とした。
「女には女の真がございます。静どのは見事でした.....」
政子はほぅ......と感嘆の溜め息をつき、そして続けた。
「此度はこれにてお引きくださいませ.....」
それは優し気だが、芯の通った腹の座った声だった。
「私にも女の真がござります.....」
―頼朝に仇なすは、許さぬ...か。―
遮那王と弁慶は、一礼して、政子の侍女に導かれて鶴岡八幡の境内を出た。後ろ姿を見送る政子の唇が小さく呟いていた。
―どうか、これ以上、殿の御心を惑わしてくださいますな.....―
それは、政子の女としての祈りだった。
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