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第58話 静 落涙~怨霊の慈悲~
数ヶ月後、懐妊していた静は、義経の子を産んだ。が、その子は男児だったため殺されねばならなかった。預けられていた安達家で当主新三郎に子を取り上げられ、棄死させられた静は傷心に耐え兼ねて、鎌倉を離れた。
その帰京の道中だった。とある民家に宿を頼むと、快く受け入れてくれた。大層に立派な家だった。夜更けにその家の主に乞われた。疲れていた母は既に寝入っていた。
―妻が子を産んだばかりなのだが、乳が出なくて困っている。もし良ければ乳をあげてはくれまいか―と言うのだ。
静は、自分が子を亡くしたばかりなのを何故知っているのかと訝ったが、乳が張って苦しく哀しいのは事実だった。
―よろしゅうございますよ.....―
と言って赤子を受け取り、乳を含ませた静は、はっ.....と眼を見開いた。こくこくと懸命に乳を吸う赤子には忘れ得ぬ面影があった。
顔を上げ、改めて主の妻を見ると、金色の眼がに、と笑った。
―褒美じゃ。.....だが、この子は我れがしばし預かる、よいな。―
―ありがとうございます.....遮那王さま.....―
静の眼から滴が落ち、赤子の頬を濡らした。
赤子は、静の産んだ子だった。
安達を異界に惑わし、遮那王が赤子をすり替えたのだ。
―既に息絶えていた赤子を見つけたゆえ、な―
安達はそれと信じて棄てただけ...と遮那王は言った。
―今少し耐えよ。いずれ迎えに参るがよい.....―
静は黙って涙ながらに頷いた。
翌朝、その家を発ち静は赤子に今一度、乳を与え、名残を惜しみながら帰路に着いた。
後日、静が、しばらく後に人を遣って訪ねさせると、その家は跡形も無く、付近の者もその家を誰も知らなかった。
「その子をどうするのじゃ?」
弁慶は、赤子を抱えて静を見送る遮那王にこそっと耳打ちした。乳呑み子である。少なくとも男の遮那王には乳はやれない。方々で貰い乳をして歩っていては足がつくし、上手くくれる相手が見つかるわけではない。
「我れに考えがある.....」
遮那王が子を抱えて向かったのは、五條のあの御霊社だった。
「おや、魔王の子よ、如何いたした?」
深夜に拝殿に入ると、早々に婦人が姿を現した。
「お頼みもうす。この和子をしばし預かってはくれぬか?」
頭を下げる遮那王と赤子を交互に見比べて、驚いたように婦人は言った。
「おや、そなたが産んだのかぇ?」
「そのような訳がありますまい.....故あって預かりもうした」
さすがに苦笑しながら遮那王は続けた。
「我れには乳はやれませぬし、赤子の育て方も知りませぬゆえ、皇后さまにお縋りしたくまかりこしました」
「異界の者の乳で良ければ授けようが....」
婦人は手を延べると優しく赤子を抱き取った。
「そなたも難儀な運命を負うたのぅ.....ん、笑うたか」
腕の中の赤子をあやしながら、婦人は顔を綻ばせた。
「三年したら、迎えに来るがよかろう。もし来ねば.....」
「来ねば?」
「この子は、ずっとわらわの子じゃ.....」
「必ず、参ります」
遮那王は深く頭を下げ、御霊社を後にした。
「よう預かってくれたのぅ.....」
弁慶が半ば呆れたように言うと、意外にも遮那王は笑いもせずに答えた。
「皇后さまは、亡くなる前にお子を流産されてな......いたく辛い思いをされておったのじゃ」
「そうか.....」
女達の強さを目の当たりに突きつけられ、弁慶は深く唸るしかなかった。
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