20 / 49

第61話 暗躍~比叡山~

 鎌倉の者達の包囲を掻い潜り京の都に至った遮那王と弁慶は、まず叡山に入った。 ―一度だけ、俺の我が儘を聞いてはくれねぇか?―   との弁慶のたっての願いがあってのことだった。  二人が叡山に訪ねたのは、他でもない、弁慶を諭したあの阿闍梨だった。 「よう参られた」  阿闍梨は、幾分、歳を経てはいたが、色艶の良い顔でにこにこと二人を迎えた。 「息災そうでなによりじゃ......」  阿闍梨は、自分の堂にふたりを招き入れ、温かな湯と菜を振る舞った。 「山の中のことゆえ何も無いが、これはわしが、回峰行に出る前に漬け置いたものじゃ。よう漬かっておろう?」  それは程よく塩が効いて、ふたりの疲れた身体には美味かった。が、それ以上に、弁慶は驚いた。 「お師さまは、また回峰行をなされたのですか?」 「おぉ、無事に終えることが出来た。御仏のご加護をいただいてのぅ.....」 「回峰行とはなんじゃ?」    不思議そうに問う遮那王に、阿闍梨は笑みを崩さずに教えてくれた。  回峰行は、正しくは千日回峰行と言い、千日の間、広い比叡山の峰々を拝して回る行で、雨でも嵐でも休むことは許されない。五穀断ちをして臨むため、口にするものは限られ、途中、断食をしたり、不眠不休で読経しなければならないこともある。しかも、途中で挫折することは許されない。続けられなくなったら、その場で自害せねばならない。叡山には、そのような僧を弔った塚が幾つもあるという.....。 「大変な行なのだな.....」  遮那王もこの小柄な僧侶の顔をまじまじと見た。が、僧侶の顔には一分の曇りも無い。 「天下万民の平穏を願い、歩いておりますれば、いずれ『我』は無くなります」  叡山の阿闍梨はそうして仏と一体化するのだという。 「この回峰行を成して、初めて『阿闍梨』と呼ばれるのだ。お師さまは、何度もこの回峰行を成されている」 「ほんの五回じゃ」  阿闍梨は笑い、そして弁慶に向き直った。 「して、本日は如何した。弁慶?」 ―暇乞いに...―  と言いかけた弁慶の言葉を遮那王が遮った。 「探し物をしておる」 「探し物とは?」 「将門の首じゃ.....」 「これはまた、大変なものを.....」  阿闍梨はかすかに驚きを見せた。 「たが、残念ながら、こちらのお山にはありませぬよ、鞍馬のお方」  阿闍梨は、静かに言った。今度は遮那王が怯む番だった。弁慶も思わず身動ぎした。 「お師さま、何故に...」 あぁ.....と阿闍梨は軽く笑って言った。 「わしらが漏れ聞いていた言い伝えでは、鞍馬の魔王尊は、少年の姿をされていると聞いている。このお方の真の眼は金色。しかも背に日月の御仏の御使いが添うておられる。違うはずもない」 「日月の御仏ですと?」 「そうじゃ。元来、鞍馬には三体のご本尊がおられる。日の御仏、月の御仏、地の御仏.....魔王尊は日月の御仏の御子なる地の御仏じゃ。それゆえ、魔王尊がこの世に降りたたれたとても、親御たる日月の御仏はしかとお子を見守っておられる」 「日月の御仏の...子.....」  言葉を失う遮那王と弁慶を穏やかに見つめながら、阿闍梨は続けた。 「鞍馬のお方、貴方がこの世に降りられたは、他ならぬ御仏のお心あってのこと、お恨みなされず、お役目一途にあられませ」 「お師さま.....」  ぽかん.....とする弁慶に阿闍梨は、変わらず微笑んで言った。 「弁慶や。......御仏を御守りする仁王、金剛力士のお役目、しかと果たされよ。そなたに与えられた御仏の慈悲じゃ.....」  ふふふ.....と白い髭に覆われた口元が嬉しそうだった。 「この山には、使われていない堂が数多ある。学僧達が来ては帰っていくでな.....、雨露を凌ぐくらいはできよう。その前に.....」 阿闍梨の目が真剣な光を帯びた。 「見せたいものが、ございます.....」  夜更けて阿闍梨が二人を伴ったのは、叡山の中央、寺院の根幹を成す場所......根本中堂の内陣だった。 「良いのですか.....」  がらんと静まり返った丑三つの刻限の堂内はひんやりとして、三人の手燭の灯りの小さな炎がチリチリと微かな音を立てるばかりだった。  不安そうな弁慶に、僧侶がひそ...と言った。 「見ておきなさい」  指差す先に、灯籠が一つ、明るく光を放っていた。 「これは.......」 「『不滅の法灯』です」 「不滅....の...法灯?...」 「左様。御開山の伝教大師、最澄さまが灯されてより、一度も絶えることなく護られてきた御教えの灯りです。叡山の僧は、この灯りを、教えの灯りを絶やさぬことを何よりの責務としております。未来永劫....」 「未来永劫、灯し続けると.....」 「左様、御仏の教えは人々の希望です。未来永劫、消えてはならぬもの。国家鎮護の大本山として、その中核となるこの炎は、日ノ本の人々を導く『希望』の炎そのものなのです」 「阿闍梨どの.....」 「鞍馬のお方、貴方はこの弁慶に希望の灯を点してくだされた。深く礼を申し上げます。......どうか、弁慶をよろしゅうお願いいたします」 「お師さま.....」  言葉に詰まる弁慶に阿闍梨は優しく言った。 「弁慶よ。護るべき灯火を得た、お前は幸せ者ぞ.....」  薄闇の中、弁慶の瞳が仄かに潤んでいたことを御仏の穏やかな眼差し以外、知るものはいなかった。  遮那王と弁慶は、叡山の山腹、横川の僧都の庵にそう遠くない堂に寝泊まりすることに決めた。  そして、まずは、あの男に首の行方を訪ねることにした。

ともだちにシェアしよう!