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第64話 暗躍~将門探索(三) 六条河原~

 翌日、夜中の六条の河原には人の気配は無かった。が、遮那王は口許をにまりと緩めて言った。 「ほぅ......おるわ、おるわ。魍魎どもが有象無象、蠢いておる」  弁慶は凍りつくような、身の毛が総毛立つような不気味な気配に身を震わせた。 「なんじゃ、この得体の知れぬ奴らは.....」  遮那王はふん......と鼻を鳴らして言った。 「政権争いに破れた者達の成れの果てよ。為義や義朝の兄弟の怨霊もおるやもしれぬなぁ.....」 「止めろ.....薄気味の悪い......」 「だが、肝心の男がおらぬな......」  遮那王は、平然と辺りを見回した。 「普通、あれだけ気の力の強い男であれば、気配くらいは残っていても良さそうなものだが......」  くい、と首を傾げると、すぃ.....とその場に座り込んだ。 「護りを頼む」  弁慶に言って眼を閉じる。 「生きているヤツを近づけねば良いのだな」 「そうだ」  弁慶は魑魅魍魎のど真ん中に仁王立ちして、じっと遮那王を見守った。  遮那王の全身からゆらりと沸き上がる気が辺りを包み魍魎達がその気配に我先にと逃げ出していく。逃げ遅れて気に触れた者は塵芥のように崩れて跡形も残らない。 ―魔王尊......―  遮那王のなかの人外を目の当たりにするとき、弁慶は畏れよりも、言い知れぬ寂しさに捕らわれる。弁慶の『鬼』は『陰魂(おに)』、あくまで先祖らしき御霊の無念が形を成したものだ。 ―その怨嗟を解けば人に戻れる― と遮那王は言う。だが、その唇が ―もう少しじゃ、しばし待て― と微笑む度に、『もう少し』の時間が永遠に続けば良いと思う。よしんば、自分が真の鬼となり、引き換えに遮那王が全き人になれるなら、喜んで鬼になる。遮那王と牛若丸とが仲睦まじい兄弟の日々を得られるなら、黙って山から見守っていてもいい。遮那王の幸せな顔を見られるのなら、それで良い、と思った。 「来たぞ.....」  遮那王の囁きに、弁慶の意識は現世に引き戻された。いや、現世ではない。時を遡った、遮那王の求めた瞬間に移行したのだ。  六条河原の晒し場に晒された将門の首.....、それに馬鞭で辱しめを与えようとしているのは、おそらくは源経基とその従僕であろう。 ―よくも、わしに恥をかかせてくれたな、謀叛人め。幽閉させてどれほど惨めな思いをしたか...思い知るが良い!―  基経の鞭が振り下ろされた、その瞬間、首が両の目をカッと見開いて、経基達を睨みつけた。畏れ戦いて、むやみに振り回した基経の鞭が、首に当たり...首は晒し台から地面に落ちて、崩れた。 「そりゃあ、祟られるわけだ.....」  弁慶は溜め息混じりに呟いた。経基達が立ち去った後、地面に落ちた首を拾い上げ、丁寧に包んで、持ち去ろうとする人影が見えた。 「何者だ?」 「身内の某かであろうよ......。元々、身内の内輪揉めだからな。......さて、やはり東国に持ち去られたか」 「追わんで良いのか?」 「追うさ」  遮那王の口許がにぃと笑った。  夜陰に紛れて将門の首を持ち去った男は関所を抜け、山づたいに東国に向かった。が、途中で病を発したらしく、だんだん足取りも顔色も悪くなっていく。  とうとう力尽きたらしき男は、武蔵野のある場所で倒れ、最期の力を振り絞って、首を埋葬しようと、必死で土を掻いていた。 「待たれよ」  時の壁をすり抜けて、遮那王が男に声を掛けた。男の顔が驚いて遮那王を見上げた。 「何者.....?」    今にも息絶えそうな男の誰何に、遮那王が答えた。 「名乗るほどのものでは無い。その首を預かる」 遮那王に目配りされ、弁慶が男の傍らの首を取り上げると力無い手が宙を掻く。 「持ち去って如何がする気じゃ.....」  振り絞るような男の声に遮那王が答えた。 「大利根を超える。.....骸は坂東にあるな?」  男の目が大きく見開き、力一杯、痩せた首が頷いた。そして安堵したかのように崩折れて、男は動かなくなった。 「力尽きたか.....。よぅここまで頑張ったの」  せめてもの慰みに、男の遺体を埋め、小さな石を据えてやった。  ふたりは近辺の空き家から拝借した木桶を首桶がわりに、酒を注いで首を浮かべて武蔵野を後にした。  人目を忍びながら、武蔵-下総と渡り、利根川を舟で越える。漕いでも漕いでもなかなか向こう岸の見えない川の広さに弁慶が呆れながら言った。 「でかい川じゃな。本当に川なのか?」 「坂東太郎とはこの川のことじゃ。源氏の小倅が名乗るなど、片腹痛きことよ」  見事に弧を描く三日月の下でくくっ.....と笑う遮那王の傍らで木桶が、カタカタと小さな音を立てた。 「おい、遮那王......」  顔をひきつらせる弁慶に、遮那王がしれっと言った。 「故郷に還れるのじゃ、嬉しいのであろう」  さわさわと川を渡る風に靡く黒髪が闇に溶けて、二つの金色の眼が水面に映る星のようだった。 「お前は、本当に美しいな.....」  櫓をこぐ音色に紛れて弁慶はひそと呟いた。遮那王の眼が嬉しそうにほんの少し綻んだ。    

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