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第67話 大和脱出 (遮那王)

 遮那王と弁慶が鎌倉の静の子を救いあげ、大和に至った頃、奥州から義経を支えてきた佐藤忠信が討たれた、いう報が耳に入った。 「佐藤どのが何故......」  信じられぬといった体で呟く弁慶に、遮那王がひそと呟いた。 「義経が無事に奥州に入ったということだ」  自分が後を追って奥州を目指せば、義経が奥州に向かったことが露見してしまう。それでは秀衞にとっても義経にとっても不都合なことになる。    「いずれは露見するではあろうが、秀衞殿の懐に無事帰り着いて、体制が整うまで何とか鎌倉の眼を逸らしておかねばならん。....行家殿が討たれ、郎党が討たれて、....佐藤どのは、自ら耳目を惹き付ける囮となったのだろうさ」  忠信が京で発見されたことにより、鎌倉の探索の眼は京の都、或いは近辺に注がれる。  それ以前、静が子を産んだ頃には比叡山にいた義経の侍童、五郎丸が捕縛されたとの報を鎌倉で耳にしていた遮那王は、―むしろ、好都合よな......―と嘯いていた。  その折りには、―六月の末まで、義経さまは、比叡のお山においでになりました―という五郎丸の証言に従って北条時政による叡山探索が行われた。が、無論、居るはずがない。遮那王と弁慶が庵に滞在していたのを勘違いしていたのだ。  遮那王は、子どもを五條の婦人に預けた後、太子.....厩戸皇子との約束どおり、山背大兄皇子を始めとする、上宮王家の人々の御霊を法隆寺から太子の待つ常世へと送り、その後も大和にある曰く付きの方々を経巡り、秋も深まった頃、法隆寺に戻り、夢殿へと弁慶を誘った。 「何処へ行くのだ?」     「頼朝めが、この地の探索を始めた。急がねばならぬゆえ......な」  頼朝の家臣、比企朝宗が義経探索のために大和に向かった.....という噂を僧侶達から聞き知った遮那王は大和を離れることを決めた。  弁慶は遮那王に手を引かれ、六角の堂の中に入った。遮那王は弁慶の膝に向き合って座り、背中に手を回した。額と額を付け、呪を唱え始める。  堂の中の景色が不自然に歪み始めた。 「眼を閉じておれ。時空を超える」  遮那王が耳許で囁き、弁慶は言われたとおりに両目を閉じた。ごぉっ......という音がして、尻の下が抜けた。何処までも落ちていくような異様な感触に、思わず、遮那王にしがみついていた。 「着いたぞ.......」 、  どれ程の時間が経ったであろうか...弁慶が眼を開けると、そこは見慣れぬ山の窟だった。 「な、何?.....ここは何処じゃ?」  弁慶が呆然としていると遮那王がにまりと口許を歪めて笑った。  「筑波峯じゃ」  富士も鎌倉も飛び越えて、遥か常陸の山の峰に至っていたのだ。 「あの夢殿とやらには、どうやら時空を超える仕掛けがされているようでな、一度試してみたかったのだ」 「あの六角堂に?」 「うむ......」 と遮那王が頷いた。   「太子は随分と色々なところへ出掛けていたようだが......我れには、此処より他に思い浮かばぬでな」  ふと思い至り、弁慶は尋ねた。 「鞍馬の魔王殿もそういうものなのか?」  すると、遮那王は少し考えて、答えた。 「似ておるが、少し違うな」 遮那王は弁慶の膝に乗ったまま身体を預けて、弁慶の胸元に指を這わせた。 「鞍馬の魔王殿は、異なる時空.....異層へ繋がっている。魔王尊のおわす時空そのものに繋がっておる」 「魔王尊の居る時空?」  「うむ.......そこには物の重さは無くて、辺りには星々が光を放っている他は、何も無い。魔王様は白い光をまとい、半ば透けたお姿でな。だが、触れると暖かいのじゃ」 「暖かい?触れることが出来るのか?」 「出来る...というより、その空間自体が魔王様そのものでな。一部を我れが知覚出来るよう変化させて見せたり、触らせて下さったに近い。......そして、我れは魔王様の気を頂いて育った」 「気を?どうやって......?」  訝かる弁慶の唇に遮那王のそれが軽く触れた。 「こうして......じゃ」  金色の眼が上目遣いに弁慶を見つめ、白魚の指が弁慶の首を引き寄せた。   「遮那王......」 「お前の精は魔王様の気に似ている。熱くて濃くて力強い.....」  耳許で囁く声が艶を帯びていた。 「誘っておるのか?」  弁慶は苦笑しつつ、その腰を抱き寄せた。 「いかんのか?」     猫のように鼻面を擦り寄せて甘い声が耳を溶かす。 「そんな訳があるまい....」  二人はゆっくりと草葉の生い茂る岩の上に倒れ込んだ。  

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