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第68話 関守~香賀背男~
「それにしてもまっ平らなところじゃのぅ.....」
筑波峰から繋がる山々を走りながら、弁慶は時折、物珍しそうに眼下の郷に眼を遣った。平らかな大地のあらかたは田畑らしく、そこここに集落が点在しているのが、よく見える。しかもあろうことか海までもが一望できるのだ。
「民が住まうには良いが、戦には向かぬ場所よな」
連なる山々はいずれもなだらかで、峻厳な岩山はあまり多くはない。
「下手に攻め入れば、軍の陣形やら規模やら丸見えになってしまうからな」
遮那王は苦笑しながら言った。
「大利根を始め、幾つもの大きな流れがある。この流れも言わば自然の堀のようなものじゃ。故に常陸源氏は国の北、奥州との境に城を構えておる....あの辺りじゃ」
指さす先には彼方に青山が連なって見えた。
「あの山から先が奥州じゃ。厄介な関守もおるがな」
「関守?」
弁慶が問うと、また再び野太い声がした。
―香賀背男のことか?...―
「まだおったんか、お主?!」
遮那王が半ば呆れたように眼をやると、大鎧に大兜の出で立ちに姿の戻った将門が刀を肩の辺りで弄びながら言った。
―目指す先まで警護してやろうと思うての―
「薄気味悪いのぅ.....何を企んでおる?」
―何も企んではおらん。親切心じゃ。―
「嘘をつけ」
睨みつけ身構える弁慶を遮那王が宥めた。
「まぁ、良い。......こやつの腹の内など大したことではない。来たければ来るが良い」
にかっと笑った強面に遮那王がすかさず釘を刺した。
「ただし、覗きはするな。.....興が削げる」
将門の死霊は、おや.....と意外そうな口振りで、チラチラとふたりを見た。
「むしろ燃えるというヤツもおるが?」
「我れには、その趣味は無い」
遮那王は言って、山塊に足を踏み入れた。途端に風がごぅ....と鳴った。
「お出ましじゃな」
遮那王はきり.....と顔を引き締め、油断するな、と弁慶に目配せをした。
「誰ぞ?」
「星香賀背男、亦の名を天津甕星.....古代最強の悪神と言われた男よ。注連縄があったろう?」
もう一度ごぅと風が鳴り、激しい疾風が巻き起こった。その内から雷のような声が響いた。
―ほう、我れを知るか......―
吹きつける激しい風が幾重にも渦巻き、目も開けられない。かろうじて窺えば、黒い渦の中に赤い焔の如きものが、ふたつ燃えてこちらを睨をやでいた。
―何者ぞ。......我が砦と知りつ足を踏み入れるは、余程の覚悟があってのことよの?―
「奥州へ行かねばならぬ」
遮那王は淡々と言った。
「早池峰山に神を訪ねねばならぬ」
風が一段と激しくなった。
―早池峰山だと?.....我らの主神に何用じゃ!―
「お主らの裔を、お主らの負の念から解放するのじゃ」
―我らの裔....じゃと? ―
ふたつの焔が弁慶に向けられた。
「そうじゃ。お主らが負わせた怨嗟の因業から解き放つために早池峰山に行くのだ」
遮那王は、語気を強めて言った。
「古代、お主はタケミカヅチ達に敗北した。ホツマの南の砦を任され、最強と言われたお前にはこの上なく屈辱であったろう。そして、ホツマの国はヤマトに呑み込まれた。ホツマの民、お主の末裔は山深い地へ逃げて命脈を保った」
―おぉ.....おぉ.....我れがあの時、あやつらを退けていたら....―
焔が揺れ、御霊の唸りに風が一層激しく逆巻き、吠えた。
「結果は、同じだ」
遮那王は冷ややかに言った。
「むしろ、酷くなっていたかもしれん。タケミカヅチもタケハヅチもヤマト人ではなかったであろう?自らの部族を護るために仕方なくお主に刃を向けた。これがヤマタイのニニギであったなら.....」
遮那王は一度、言葉を切り、焔を見た。揺らめきが大きくなった。
「ホツマの民は皆殺しにされていた。.....ヒュウガやイキの民のように.....ヒの国の民であったタケミカヅチはホツマの民を残すためにお主を討った」
遮那王は続けた。
「お主にもわかっていたはずだ......ホツマは純真過ぎた。だから滅びた」
―おぉ......おぉを......―
呻くように風が捻れ、まるで身を捩り苦悶に耐えているようですらあった。
「お主の国を、故郷を再び甦らせるために、お主の裔に、お主の力を授けてはくれぬか?...」
遮那王は焔に向かって手を差し伸べた。風がピタリと止み、黒い渦が消え、焔の如き赤い瞳をした巨神が仁王立ちしている姿が露になった。
ふたつの焔がじっと弁慶を見つめた。
―お前が裔か......―
ぐわん.....と大地が揺れた。
―通れ.....―
山肌を裂いて一本の道が北へ続いていた。遮那王と弁慶は頷き合い、一気に走って山を降りた。
降りきって後ろを振り向くと、山はまた鬱蒼とした樹叢に覆われて、道は消え失せていた。
「善なる者は死に絶え、欲深きが生き残る.....か。なんと人の世とは醜きものか.....」
弁慶の呻きに、将門の死霊が、ぽん...と肩を叩いた。
―だが、それでも滅んで良いものではない...いつかは善なる者が勝利せねばならぬ―
「そうじゃな....」
遮那王は小さく笑った。
遮那王と弁慶、そして将門の死霊は、陸前を浜づたいに街道を北上し、塩竃を拝して後、山合へと道を変えた。
―既に藤原氏の領内ゆえ、かえって目に付きたくない―
というのが理由だった。
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