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第71話 奥州帰還(義経 一)

 遮那王と弁慶が忙しくあちらこちらを経巡っている間に、伊勢道で別れた義経と慧順らは、三月の後、平泉に辿り着いていた。  平泉の近くまで至るも、義経は謀叛人の自分が頼ってはためにならぬと俊巡していた。  だが、それでも秀衞に会いたかった。会って、詫びたかった。せめてもと文をしたため、従者に託した。  行くなと止めた秀衞を振り切った己のが不肖を恥じている。その思いに応えるどころか、自分の不明から咎めを受けることになってしまい、申し訳も立たないが、せめて一目会いたい。詫びたいと思い奥州まで来てしまった.....と素直に綴った。 ―許してはくれぬやもしれぬ。それでも......―  腰越で必死の思いでしたためた文に頼朝は答えてはくれなかった。それを思えば追い返されても致し方ない。 ―せめて返事だけでももらえれば......―  鎌倉で肩身の狭い思いをしていた時にも、京に昇り右も、左もわからずにいた時も、平家討伐に奔走していた時も、義経を気遣う書状や物資を送ってくれた、その礼だけでもしたかった。  平泉を目の前に街道の傍らの小堂に身を潜めて、義経は従者の帰りを返事を待った。  とっぷりと日も暮れ、失望と悲嘆に打ちひしがれた義経のその目に映ったのは、馬を降り、足早に歩み寄る秀衞の姿だった。  堂の扉を開き、義経の姿を確かめ、その肩に触れた手の温もりに思わず涙が頬を伝った。 「よう無事に帰られた......」  義経を見つめる眼が潤んでいた。七年の間に歳を経て皺になったその手に握られ、義経はその手の温もりに張り詰めた心が解される心地がした。  秀衞はその足で義経一行を自分の別邸に連れ帰り、身体を休めるよう勧めた。 「湯殿の用意をさせておりますゆえ、まずは腹を満たされよ」  侍女に命じて、酒と心尽くしの膳を調えさせて、秀衞は義経達を労った。 「良いのですか......秀衞さま。私は、鎌倉殿に追われる身となってしまいましたのに.....」  あたりを憚る義経に秀衞はあの穏やかな微笑みで答えた。 「私は、鎌倉殿の家臣ではない。貴方さまは今も昔も、私の大切なお客人。私が指南させていただいた大事な御曹司にございます」  義経は思わず泣き崩れそうになった。鎌倉では向けてもらう事の無かった暖かい眼差しと優しい言葉.....疲れ果てた義経の心に深く沁みいる労りに満ちた慈しみに肩を震わせて、泣いた。   「有り難う御座います......」  咽び泣くように、肩を震わせる義経の背を秀衞の掌が優しく撫でていた。 ―まことの父...のようだ......―  父の顔すらも知らぬ義経には、秀衞の笑顔が父というもののそれのように思えた。頼朝に求めて求め得なかった『家族』の温もりが胸に痛かった。  秀衞の別邸に落ち着き、やっと人心地のついた義経に、ふと秀衞が尋ねた。 「時に.....遮那王さまは如何がなされましたか?」  やにわにその表情に不安げな色が走ったが、それを打ち消すように、義経はつとめて明るく言った。   「遮那王兄上はまだ色々と成すことがあるゆえ、と仰せられて、吉野で別れました。私には真っ直ぐに奥州に、秀衞さまのもとに参れと仰せになりました」 「左様でございましたか.....」  秀衞は何気におや.....と眼を見張ったが、にっこりと微笑み、義経を見つめた。 「遮那王さまは兄上であられましたか......」 「まごうことなき、私の兄にございました」  義経は微笑み、眼を伏せた。 「私は、ここに至ってようやく、私にとって大切なもの。私を大切に思って下さっていた方々のお心を知ることができました」 「義経どの......」  秀衞の手が頬に触れ、ひそと義経を抱き寄せた。 「よう帰ってきて下された......」  義経は、父のような、男の匂いのする逞しいその胸にそっと顔を埋めた。 「ご心配をお掛け致しました......」  ふたりの眼にきらりと光るものが浮かんでいた。

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