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第72話 奥州帰還(義経 二)

 奥州に辿り着いてしばらくの間、義経の暮らしは驚くほど平穏だった。義経が秀衞の別邸に匿われていることを知る者はごく僅かであり、世話をする者達も口は固かった。  当の秀衞も鎌倉からの無理難題に対しても毅然とした態度で臨み、義経と去就について明かすことは一切無かった。     ―そこまで大事であられるのか.....―  藤原氏の後継者である泰衞は、半ば呆れながら父親の義経に対する庇護の入念さを眺めていた。 『儂が指南いたした御曹司じゃ。儂が護らずして誰が護ろうか』  と息子に言いきる秀衞の心中が『親代わり』というそればかりでは無いことを泰衞は薄々は感じとっていた。良からぬ言い方をするなら、それは―老いらくの恋―と言うに近かった。    義経が初めて奥州の秀衞を頼って来た時、冷静で物事に動じない秀衞がそれなりの温情を示したことは泰衞とて父らしいと思っていた。しかし、共に暮らすうちに、自分の子らに示すのとは別の感情で接していることに気付いた。 ―源氏の御曹司であるのだから.....―  という理由で別に館を与え、自分の子らとは別に暮らすように仕向けたのは、『育ちが違う』からではなく、息子達とは別な眼差しで見ているからだ......ということを知らぬほど子どもでは、無かった。  衣川の義経の館に通う時の秀衞の姿は、ある種、思う女のもとに通うそれと似ていた。何くれと暮らしのあれこれを気遣うばかりでなく、時にこっそりと夜陰に紛れるように帰ってくる。脂粉の匂いさえしないものの、漂う気配は事後のそれであることを、察していた。   ―わからぬではないが....―  義経は奥州で生まれ育った自分達とは違う。山から吹き下ろす風にも、春の半ばまで溶けない根雪にも、断崖絶壁の岩場に打ちつける荒波にも負けぬよう厳しく鍛えあげられた泰衞達には無いたおやかさがあった。歌を詠み笛を奏でる仕草のひとつひとつに都ぶりの気品が匂った。  何より、『生きる』ために自らの手を汚してきた者達とは違う、純真さと人の好さがあった。 ―御曹司は、若竹のようじゃ―  というのが秀衞の口癖だった。真っ直ぐに、ただひたすらに天に向かって伸びる一途さと瑞々しさがその心映えにはあった。  秀衞は幼子を愛でるように、初な乙女を慈しむように義経に接していた。  義経が、頼朝の挙兵を知り、兄の許へ行きたいと必死に乞うた時、秀衞が止めたのは、その思いがあまりにも純粋過ぎるからだった。隠れて出奔までもしかねない一途さに、押し留めることを諦めた。  頼朝と決裂して、打ちひしがれ心折れた義経の姿に胸を痛めながら、心の何処かで安堵している父の胸の内を、泰衞は見抜いていた。鎌倉から届く文の返事に精一杯の虚勢を張りながら寂しさが滲むのを哀れと思いつも、自分から離れていった報いだと、語る言葉の端々に見え隠れさせながら、秀衞は待っていた。  そう待っていたのだ。為義の代から続く親子兄弟の相克に、義経の純粋な心が傷つき、痛めつけられて耐え難い苦痛に喘ぐであろうことを、秀衞は悟っていた。  そして、傷つき疲れ果てた義経が自分の手の中に戻ってくるのをじっと待っていた。 ―生命が尽きる前に、無事な姿で戻ってきてくれた―  それは秀衞にとってはこの上ない歓喜だった。失意と絶望に項垂れる義経を励まし労る父の眼には、絶えることの無い男の情欲の色が漂っていた。   ―もはや肌を合わせることはあるまいが......―  それでもやはり、義経は『秀衞のもの』なのだ。義経が頼朝と決裂したことで、秀衞が、そして奥州探題藤原氏の後継者である泰衞が最も恐れていたこと―頼朝が義経を大将として奥州征伐に臨むであろう―ことは回避された。    ―問題は、この先よな.....―  秀衞は鎌倉がどれほど迫ろうと、義経を愛しい若者を護りきろうとするだろう。  その後をどうするか......―  泰衞の危惧はその一点に絞られた。

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