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第73話 頼朝の焦燥

 一方、鎌倉の頼朝は京の都や大和を徹底的に探索していた。探していたのは、義経......ではなく、遮那王だった。吉野山以降、遮那王が義経と行動を共にしてはいないであろうことは容易に推察された。  静の奉納舞を見届けた遮那王が何処に姿をくらましたのか......紛れるならば、京や大和の『闇』の内であろう、と頼朝は踏んでいた。古い都には人の出入りを拒む禁足地、禁域が多く存在する。  同時に人目を惹く容姿の遮那王が往来に出れば、奥州や東国の鄙では目立ち過ぎる。京や大和ならば、遊女や伎芸などばかりでなく、男娼も優男の公達も数多おり、被り物でもしていれば、そういう類いの遊行者に紛れることもそう難しくはない。『異形』の存在である遮那王が隠れ棲むには適した場所が方々にあった。    ―それに......―  探索方の眼を引いて、義経の逃亡を容易にするには、離れた場所に在ったほうが都合がよい。何しろ遮那王という存在を知る者は、鎌倉にもごく僅かしかいない。頼朝と腹心の梶原景時のふたりだけなのだ。妻の政子は薄々は気付いているが、それがどういう存在なのかはっきりとは知らない。頼朝の執心している義経ゆかりの若い美貌の男......という程度だ。  それゆえ、京や西国の探索方は、義経と容姿の似た遮那王を義経と思い込んで、あちらこちらの出没の噂に駆けずり回っている。  だが、頼朝の思惑からすれば、―それで良い―のだ。 ―義経はいずれ奥州を頼る―  秀衞の懐に逃げ込むであろうことは眼に見えていた。厄介な秀衞が生きている間は、宣旨を出して、圧力を掛けておけば良い。 ―義経を討つのは、秀衞が死んでからで良い。そうすれば.....―  若い泰衞は、圧力に耐えられなくなるだろうし、そうなれば、義経ごと藤原氏を討てば良いだけのことだ。 ―だが、遮那王は、是非にも生け捕らねばならぬ― 「早う遮那王を捕らえよ。神器を、探し出させねばならぬ。それ以上にあの魔性を放置していては世のためにならぬ」  再三再四、頼朝からの無理難題に頭を抱えていたのは、他ならぬ景時だった。都の時政達には、あくまでも義経の探索の名目で探させているが、その行方は遙として知れない。 「密かに手の者を向かわせ、義行殿を捕らえよ.....と命じてはおりますが......」  ひたすらに頭を下げながら、景時は内心深い溜め息をついていた。義行......というのは、朝廷が頼朝を慮んばかって、義経を改名させた名だが、当の義経が知る由もない。 ―言霊で人が見つかるなら苦労はしない.....―  というのが、鎌倉方の本音だった。だが、表だって遮那王の名を出せない景時と頼朝の中では、頃合いの名として、義行...は遮那王を指す隠語となっていた。何より政子に聞かれた場合を配慮してのことだった。 ―あくまでも探しているのは、義経―  政子にも北条氏にもそう思わせておかねばならなかった。 ―政子の悋気は激しいゆえ.....― と言う頼朝の腹のうちに、それとは異なる何かを察していた景時は、黙って命に従うより無かった。  京の隅々、大和の隅々まで手を尽くし、延暦寺や鞍馬寺、果ては奈良の南都の僧を召して詰問したものの、一向に埒は開かない。 ―もはや奥州に入っているのでは......― と何度も進言しても、頼朝は、頑として認めようとはしなかった。 ―あれのことだ。何処ぞで何かを企てているに違いない―  景時の眼から見ても、遮那王に義経と共にあって欲しくない、今いまにでもふらりと自分の前に現れて欲しい.....と心底から願っているであろう頼朝の焦りはあまりにも不自然だった。  鎌倉の空に暗い雲が立ち込める夕暮れ、景時は遮那王に向けて文を書き、配下の者に託した。  他の者の目に触れさせず、遮那王を奥州の隅々まで探し出して手渡すよう、命じた。

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