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第76話 奥州の落日(二)~秀衞逝く~

 秀衞が身罷ったのは、奥州の秋も深まり、田畑も山も来るべき冬の気配を帯び始めた神無月の晴れた日だった。  『その時』を悟った秀衞は寝所の枕辺に子供達と義経とを呼び寄せ、改めて、   ―義経を旗頭に鎌倉と戦え― と子らに命じた。  そして、一時、子供達を下がらせ、義経を力ない手で招き寄せた。 「義経......さま...どうか....お健やかに...」  枯れた痩せた手が義経の頬に触れた。その手を握りしめる義経の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。 「秀衞さま.....」  子供のようにしゃくりあげる義経に、秀衞は優しく微笑み、囁いた。 「次の世...では......必ず.....我が子に.....この奥州に.....」  義経は涙でぐしゃぐしゃになった顔で何度も何度も頷いた。そして、自らの髪を一房、切り落とし、秀衞の袂に忍ばせた。 「お約束......いたします」  秀衞はにっこりと笑い、泰衞達を呼んでくれ....と囁いた。  義経が見た秀衞の最期の笑みだった。  泰衞達が枕辺に再び戻った時、秀衞は既に瞼を閉じていた。その呼吸がゆっくりと遠ざかるのを、義経は部屋の片隅で涙に滲んだ視界で見つめていた。  奥州の雄の静かな最期だった。  義経は、人目を憚らねばならない身のため、秀衞の葬儀に参列することは出来なかった。  夜目を忍んで密かに秀衞の私邸を出て、衣川の館へ移り、ひとり涙に暮れていた。  被衣として泰衞が渡してくれた秀衞の法衣を掻き抱いて、ただただ泣き崩れていた。  葬儀を終えて、衣川の館に密かに泰衞が訪れたのは、三日ほど後のことだった。秀衞の遺髪を懐紙に包み、義経の前に差し出して、泰衞は言った。 「父の亡骸は、祖父達と同様に腐敗せぬよう処置をして、中尊寺の阿弥陀堂、須弥壇の内に納めてございます。しばらくは対面は叶いませぬが......」  義経は小さく首を振り、意を決したように言った。   「一年.....どうか一周忌まで、此方にて秀衞さまの喪に服すことをお許しください」  涙ながらに頭を下げる義経に泰衞は言葉に詰まった。 「一年......の後は如何がなさるおつもりですか?」  泰衞の問いに、義経は絞り出すように言った。 「此方に咎めが無きよう......北でも南でも身を潜められる場所を探しますゆえ......」 「左様にございますか.....」  泰衞は、それ以上、何も言わなかった。既に鎌倉の照準は奥州に向いている。ある意味、義経がいようといまいと仕掛けてくることに相違はない。   ―一年、は凌ぎきらねば......―  義経の思慕をなんとか成就させてやりたかった。 ―そこから先は.....―  泰衞にも決めかねていた。  ただ、父に頼らず鎌倉と対峙しなければならない......その事実だけが重くのしかかっていた。  秀衞逝去の報せは、早池峰の遮那王の元にもいち早く届いた。 「身罷られたか......」  あの血文字の祈願文を目にしてより後、遠からず『その日』が来るであろうことは察していた。だが、その『重さ』は、遮那王にも大きくのしかかった。 「義経は辛かろうなぁ.....」  この世にあって、一番、義経を慈しみ包み込んでくれた存在が失われたのだ。その嘆きは察して余りあるものがあった。  泰衞が奥殿に奉じた文には、一年の間、義経が喪に服したいと願っていること、その間は、何事もつつがなきように願っている......と記されていた。 「秀衞どののことは、鎌倉にも早晩、伝わるであろうのぅ......」 ―頼朝が、どう出るか―  遮那王は再び鎌倉に足を運ぶ決意をした。  対面する相手は、頼朝ではなく、梶原景時だった。

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