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第79話 雪融けまで~義経~

 奥州の一年は、瞬く間に過ぎた。  一周忌の法要を終えた泰衞は、衣川の義経の館を訪れていた。  一年の間に、義経はひどく窶れ、奥州に辿り着いた時より更に面変わりしていた。 「食事は、採っておられるのか?」  あまりの変わりように、傍らに控えていた慧順に泰衞が問うと、黙って首を振った。 「ほとんど、何も......」 ―そこまで、父を慕っておられたのか......―  泰衞は、絶句した。義経の痩せた身体を包んでいる小袖の裡に、父親の、秀衞のものであろう法衣の襟が覗いていた。想像を遥かに越えた義経の秀衞への思慕の強さに言葉を失った。 ―情が深すぎる。このお方は......―  殊更に平静を装い、虚ろな眼差しをかろうじて向け、泰衞に礼を保とうとする様はあまりに痛々しかった。しかし、その日、泰衞がもたらす報せは義経にとっても朗報である筈だった。 「お方さまと姫が訪ねて参られましたぞ......」  まだ兄弟がそれほど不仲になる以前に、頼朝が娶合わせた正妻と娘が、義経を探して訪ねてきたという。義経の虚ろな瞳が微かに揺らいだ。が、その色褪せた唇は虚ろに呟いた。 「会いとうない......」  おそらくは、頼朝の密使と同意だ。義経が奥州に在ることを確認させるために寄越したのだ。それでも、せめて娘の顔を見れば、生気を取り戻すだろう。  泰衞は、拒む義経を説得して、妻と子を招き入れた。河越氏の娘である正妻は、義経の姿を見て、やはり言葉を失ったが、意を決したように言った。 「私は、殿と共に死ぬる覚悟で参りました.....」  河越氏は頼朝の重臣のひとりであった。咎めを受けて討たれたという。彼女は義経を見据えて、はっきりと言い切った。 「離縁などとは、仰せ下さいますな。私にはもはやあなた様よりございません。夫を棄てて生き延びるような卑しい女にはなりとうございません」  鶴岡八幡宮の舞で貞女と讃えられた静の噂を耳にした彼女にとって、京でひとり戻らぬ夫を待つことも実家に身を寄せることも潔しとすることはできなかった。 ―貴方の妻は、私です―  若干二十才の妻の、強い意志の込った眼差しに義経は『否』とは言えなかった。 「ととさま?」 と膝にまとわりつく幼い娘を振り払うことは出来なかった。 「お気を確かに持たれませ。義経どの」 ―貴方には、まだ貴方を愛する方がおるのです...―  だが、それが義経にはもはや響かぬことも、泰衞にはわかっていた。 ―このお方は、父と共に亡くなってしまわれたのだ......それを生き返らせるには、あの方しかいない......―  泰衞は空を、彼方の早池峰の山を仰いだ。  しかし、遮那王からの音沙汰は無く、奥州は再び冬の深い雪に閉ざされた。 ―雪解けまでは、鎌倉は動かぬ.....―  泰衞は、義経が妻子としばしの間でも睦まじくあれるよう祈った。 ―雪が溶けたなら......―  軍備を強化し、頼朝の侵攻に備えることは最早、必須だった。だが、義経を旗頭として押し出すことには大きな躊躇いがあった。     ―一度は勝てるかもしれん。しかし.....―  日ノ本全ての武士と朝廷とを取り込んだ鎌倉との戦は果てしなく続くだろう。泰衞達、奥州藤原氏の一族には奥州の王たる矜持がある。  だが、義経にとって頼朝との終わりの無い相剋は果たして望むものなのだろうか......。  ―頼むから、逃げてくれ......―  泰衞は言葉にならない祈りを胸内に抱えて、天を仰いだ。ひとり取るべき道を模索する泰衞の頭上に晴れることの無い北国の雪雲が重く垂れ込めていた。    

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