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第80話 衣川~義経の決意~

―義経の様子が気になる.....―  遮那王が言い出したのは、秀衞の逝去から一年が過ぎ、奥州の長い冬が終わりを告げようとしている頃だった。  国衞からの文が早池峰山の奥宮に届き、鎌倉からの使者が奥州に入ったとのこと。泰衞が義経追捕の請文を差し出した旨が記されていた。 ―泰衞殿は何を思うておいでなのだ....―    義経の追捕などと言い出したとて、今さら頼朝が奥州への強硬姿勢を変える訳も無い。 ―よもや......―  遮那王は急ぎ、弁慶とともに早池峰山を出で、衣川の義経の館に向かった。 「私がお願いしたのです.....」  遮那王の危惧は当たっていた。迎えた義経は、請文を書かせたのは、自分だ...と力無く微笑した。 「これ以上、私の為に恩ある奥州の方に咎を受けさせるわけには参りません」 「お前.....!」  遮那王は言葉を失った。頼朝の狙いは義経では無くこの奥州なのだ。今さら義経の身柄を差し出したところで、頼朝の矛先が収まる訳も無い。  だが、義経の必死の眼差しを前にそれを口にすることは出来なかった。  義経はか細い声で呟くように言った。 「先日、泰衞どのが頼衞どのをお討ちになりました.....」  びくり、と遮那王の頬が震えた。義経は眼を伏せて、続けた。 「秀衞さまのご遺言を何としても守るべしと強硬に主張されたため.....と漏れ聞きました」  秀衞はいまわの際に、『義経を大将として鎌倉と戦え。忠誠を誓え』と息子達に言い残していた。それを護れ、と強引に泰衞に迫って怒りを買った......という。 「私はこれ以上、この奥州に災厄をもたらすわけにはいかないのです.....秀衞さまの為にも...」  絞り出すように言う義経の頬を一筋、滴が伝った。 「義経.....」  遮那王は、呻くように息を吐いた。 「私には、もう生きる場が、無いのです.....兄上」  認められたい、誉められたい一心で命掛けで尽くした頼朝には裏切られ切り捨てられ、敵として刃を突きつけられる身となってしまった。  義経を慈しみ育み優しく包んでくれた秀衞はもういない。寄る辺無き身となった今、何のために戦い、生きよというのか.....。  義経は咽び泣くように、遮那王に訴えた。 「何を言うか.....!」  叱咤する遮那王の声も苦しく掠れていた。 「我れは、お前に生きて欲しいと思えばこそ.....」  生命を賭けて戦に臨んだ。頼朝とも渡り合った。たったひとりの弟を理不尽のうちに死なせることなどできぬ。 ―我れは、頼朝とは違う―  義経は半ば泣きそうな顔で遮那王に笑い掛けた。 「兄上....私のことは......もう良いのです。充分すぎるほど良うしていただきました.....」  母の愛も父の愛も奪ってしまった。幼子のうちから鞍馬の山にひとり籠められて、人らしい楽しみも喜びもなく、化生よ魔王の申し子よと畏れ蔑まれながら、それでも生命を賭けて、自分を守り、救い、支えてくれた。だからこそ.... 「兄上......どうかご自分の為に生きてくだされ。幸せを見つけて...」 「たわけが......お前を死なせることなどできぬ。お前がおればこそ......我れは人らしくあれるのだ。お前があればこそ.....」  涙ながらに懇願する義経を叱りつける遮那王の声も掠れ、震えて頬はしとどに流れる滴に濡れていた。 「我れの為....と言うなら.....生きよ。何としても.....死んではならぬ。...よいな」  渾身の力で抱きしめる遮那王の腕の中で義経は力無く頷いた。  だが、遮那王の願いは叶わなかった。  頼朝が泰衞追討の宣旨を朝廷に乞うたことを知った義経は、秘かに高館の泰衞に文を書き送った。 『どうか私を討ってください。私の首を鎌倉に送れば、兄、頼朝は恭順を認めてくださるかもしれません.....』  それは、義経が必死に考えた秀衞への恩返しであり、秀衞に近付く道だった。  文を受け取った泰衞は、眼を伏せてしばらく思いあぐねていた。が、心を決めた。  早池峰と衣川の宮との双方に書式をしたため、そして戦の支度に取り掛かった。 ―弥生晦日、衣川に是非にもおいでいただきたい―  泰衞と奥州藤原氏の、最後の望みだった。

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