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第81話 衣川~義経の最期~

風の強い日だった。  昨日まで満開だった遅咲きの八重桜の花弁が一面に散り敷くなか、泰衞の手勢が静かに高舘を発した。武装したその一団は、川を隔てた向こう、衣川の館へと粛々と進んだ。     既に内通者を装った部下を使って、進軍の報せは衣川に届いている筈だった。 ―逃げていてくれ.....―  館を見上げる川原に待機し、泰衞は兵の報告を待つた。川風に煽られながら祈るような気持ちで待つ泰衞の元に届いた知らせは、ある種絶望的なものだった。 「判官さま、武具をお付けになられ、先陣にて応戦なされておいでです」  泰衞は諦めざるを得なかった。  が、館近くに自ら踏み入った時、泰衞は眼を見張った。  其処には、せんだってまでの力無く崩折れた義経は何処にもなかった。  鋭い眼差し、力無く俊敏な体捌き.....秀衞が手塩にかけて育てあげた『武士』がそこにいた。  寄せ手を片端から斬り伏せる刃筋には一筋の乱れも無い。  大兜-毛出しの大鎧を身につけ、太刀を奮うその姿は、平家を滅亡に追いやった源氏の総大将、源九郎判官義経そのものだった。   ―天晴れですぞ、義経さま.....―  父が事ある毎に言っていた『魂からの武士』なのだ、と泰衞は改めて感慨を覚えた。そして天を仰いだ。 ―父上、ご照覧あれ。義経さまはご立派な武士にお成りあそばしましたぞ.....―  おそらくは、義経が他の誰よりも秀衞に見せたかったであろう東国一の武将の姿だ。源氏の大将の死出の旅路の装いにこれより相応しいものもない。 ―父上、義経さまは父上の元に参られるを選ばれた。暖かく迎えて差し上げてくだされ...― 「射掛けよ!」  ぐい、と表情を引き締め、泰衞は声を放った。その頬を一筋、滴が伝い、手の甲を濡らした。  そして、大きな息とともに、その口許から幽かな呟きが漏れた。 ―遮那王さま、早ぅ...。早ぅおいでくだされ...―  泰衞の今ひとつの祈りだった。 ―――――――  大勢は最初から定まっていた。元より勝つつもりは無かった。    ―頼朝にではなく、泰衞に、討たせる―     そう決めての応戦だった。決めてから義経は改めて自らを、鍛え直した、  最後の戦に、何処からか見ているであろう秀衞の前に恥ずかしい姿を晒したくは無かった。  義経は、しかと大地を踏み締めて、立った。  しかし.....数刻は奮戦を重ねたものの、元より少ない警護の兵は次々と倒れ、義経も腕や脚に矢を受け、深傷を負った。 「もはや、これまでか....」  血に染まった顔で、義経はにやりと笑った。元より勝てる筈も無い。が、自らの力だけで力いっぱい戦った。心は、この上なく清々しかった。 ―遮那王兄上、お許しあれ.....―  ふと天を仰いだ眼に陽光がとてつもなく眩しく見え、思わず苦笑を洩らした。 「牛若、中へ入れ!」  大薙刀を奮いながら、慧順が叫んだ。 「ここは、俺が守る!」 ―今、この時俺はまことの弁慶になる!―  仁王立ちになった背中が叫んでいた。 「頼む!」  義経は館の中に駆け込んだ。  夫人が白装束で座っていた。腕には呼吸(こと)切れた幼子がぐったりと横たわっていた。 「済まぬ.....」  唇を噛む義経に夫人が静かに微笑んだ。 「覚悟の上でございます。さ、早ぅ...」  義経が無言で頷き、刃が夫人の胸元を貫いた。 「私も直ぐに参るゆえな...」  義経は、幼い娘の髪を撫で、床に胡座をかき、脇差しを抜いた。 「秀衞さま、今参ります...。遮那王兄上、お許しあれ......」  義経は小さく微笑み、刃を首筋に当て、一気に引いた。流れる血の熱さに浸りながら、懐かしい顔が瞼を横切っていくのを静かに見ていた。  秀衞の優しい眼差し、ただ一度の木瀬川での頼朝の笑顔、遮那王の妖艶な、けれど無垢な笑顔....そして、泣きながら義経を叱る母のような横顔.....。   「この馬鹿者が!」  薄れゆく意識の中で、義経は遮那王のあの声を聞いた。金色の眼をつり上げて、自分を抱きしめて、半泣きで叱る、優しい異形の声を聞いた。 「遮那.....王...さま.....」      まぶしい光が一瞬、視界を覆った。  そして.....義経の意識は途切れた。    源九郎判官義経、衣川に散る。  享年三一才。  ........の筈だった。

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