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第85話 夢の跡(一)~首実検~

 その頃、鎌倉近くの腰越の浜に義経の首級―泰衞の用意した偽物の首―が四十日余りを掛けて到着した。おそらくもう少し早く着いたはずの首級は、頼朝の母の法事などの鎌倉方の都合により、またしても腰越の辺りで足止めを喰わされたのだ。  静かに幕の張られた腰越の浜に届けられたそれは黒漆の櫃に入れられ、美酒に浸けられていた。  担ってきたのは、高衡。しかし実際に担いできたのは別の者である。中国の故事に例をとり、何故高衞自らが、その御首を背負わないのか、と周囲は訝った。首実検に供される最後の時は、本来やはり義経に対する敬意を払い高衞自分が担ぐべきであったからだ。  遠く奥州の地から届いたそれは、周囲の人々が袂で涙を押さえるなか、首実検に供されることになった。 ―首をあらためよ―  厳かに、かつ冷ややかに告げる頼朝に召し出された和田義盛と梶原景時は、それぞれ兜に直垂を着けて、家臣の者二十騎を従えて跪いた。   ―では.....―  義盛と景時はそれぞれ『念入りに』首を検分し、恭しく頼朝に告げた。 ―九郎判官殿にお間違いございません―  しばしの沈黙が流れた。景時と義盛の背を冷たい汗が伝った。頼朝は、ふん...と鼻を鳴らすと床几(しょうぎ)を立った。   ―海に捨てよ―  背中越しに言い捨てて、頼朝の姿は幕外に消えた。が、義盛と景時はその足音が遠ざかり、馬の嘶きとともに完全に消え去るまで、跪いたまま、その場を動くことが出来なかった。  その首は頼朝の指示どおり海に捨てられたが、後日、黄金の亀の背に乗せられ、境川を上って藤沢の白旗の辺りまで来た、と里の者がまっ青になって告げにきた。  首を拾い上げると、突如としてかたわらに居た少年に乗り移った義経の御霊が叫んだという。 ―私は源義経である。讒言する者の毒舌にかかり、奥州高館の露と消える命であったが、それのみならず、今度は首を晒され捨てられることになった。怨念やるかたなし。どうかよく弔って貰いたい―  それを聞いた頼朝は顔色のひとつも変えず、ただ、―白旗の地に祀ってやれ―と側に控えていた景時に命じた。  ほっとしたように一礼して下がる景時の背中を一瞥し、頼朝は僅かに口を歪めた。 ―遮那王め.....―  腰越の浜での検分の折り、首を確かめたふたりが頼朝に向き直ったその一瞬、首が目を開いた。金色の二つの眼が、かっ.....と頼朝を睨みつけたのだ。内心、たじろいだ頼朝が改めて首を見直した時には首は既に目を閉じていた。 ―あの首は、遮那王ではない......―  頼朝には確信があった。義仲討伐に京へ上がったきりの義経の顔は朧にしか覚えていない。が、度々、褥を共にした遮那王の顔ははっきりと覚えていた。前髪で隠れた右の目尻に小さな、ほんの小さな泣き黒子があった。首は、遮那王には似ておらず、黒子も無かった。 ―あやつめ、首に呪をかけおったな.....―  頼朝は忌々し気に呟いた。が、その眼には安堵の色が浮かんでいた。  頼朝が奥州征伐に出兵を命じたのは、殆どその直後と言ってよかった。 ――――――――― 「景時.....」  頼朝は出発前夜、大将を任せる梶原景時を呼び出した。蛇のような冷ややかな眼差しに身を竦ませる景時に、厳然と命じた。 「義経は死んだ。藤原に容赦はするな...それと」  景時はごくりと息を呑んだ。 「遮那王を捕らえよ。.....草の根を分けても探し出せ」 ―今度こそ....―  ぎらぎらとした夏の日射しが景時の背を射抜いて、焼き尽くさんばかりだった。

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