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第86話 夢の跡(二)~藤原氏滅亡~
奥州に派遣された頼朝の軍勢は三万に及んでいた。
泰衞は、彼方から粛々と進んでくる東国の軍勢を高台からじっと睨んでいた。
―遂に来たか.....―
衣川館を攻め、義経の(偽)首級を鎌倉に送りつけておおよそ四ヶ月。十分な装備は整えてきた筈だった。だが、やはり、忠衞-通衞を失った痛手は大きかった。
衣川襲撃の後、泰衞と弟達は、父-秀衞の遺言を巡り、激しく対立していた。
―なぜ、あのお方を討ったのです!―
鎌倉に去る以前から義経になついていた忠衞と通衞は、義経が奥州に戻ってきたことを素直に喜んでいた。父の秀衞が亡くなってからは、義経を慰めたいと、度々、衣川の館を訪れていたと漏れ聞いていた。
そして、衣川で泰衞が義経を殺した.....と信じた忠衞と通衞は、泰衞に反旗を翻し、刃を向けてきたのだ。
『なぜ、九郎殿は無事に逃れたと言わなかった?!』
弟達の血に染まった刀を下げて立ち竦む泰衞に、庶兄であり義父となった国衞は唇を噛み、責め立てた。
『人の口に戸は立てられませぬゆえ.....』
泰衞はそう言って寂しく笑った。
忠衞も通衞も、義経が生きていると知ったら、何としても探し出して、大将の位置に据えようとするだろう。
―それだけは、させてはならぬ―
兄の愛を必死に求めて戦ってきた義経だ。いくら決裂したとは言え、数少ない、いや唯一と言ってもいい肉親である頼朝に刃を向けることは、とてつもなくその心を傷つけ、引き裂くことになる。
―決して戦わせてはならぬ.....―
それがために、わざと衣川の館を襲い、遮那王の手を借りて逃がしたのだ。
自ら館の中に入り、検分を行った時、義経の遺体が無かったことに心底、安堵した。共に館に入った家来に、館内の遺体で年格好の近い義経の側近の首を斬らせ、その家臣をも斬り捨てた。
―何処でもいい。無事でありさえすれば.....―
鎌倉との決戦に義経を巻き込むことだけは出来なかった。
『あれらは、九郎殿を慕っておった...』
歯噛みする国衞に泰衞は淡々と言った。
『存じております』
―父上や忠衞達だけではない......―
この奥州に、義経を慕っていなかった者は誰もいない。誰もが義経の真っ直ぐさに惹かれ、純粋さを愛し、慈しんできたのだ。
それは、泰衞とて同じだった。違うのは、何よりも義経を生かす道を泰衞は選んだ。ただそれだけの違いだった。
泰衞はふとある言葉を思い出した。
―『傾城』.......か―
確かに、あの無垢な笑顔は伝説の美女のそれにも匹敵する。違うのは、誰よりも勇猛果敢に戦ってきた武将であることだけだ。
―良いではないか.....―
愛しい慈しい者の為に滅ぶなら、それもまた本懐かもしれない......と泰衞は思った。
―父が亡くなった時に、この國は終わったのだ―
泰衞は大きく手を上げ、馬の腹を蹴って叫んだ。
「かかれ!...東国の武士達に我らの力を見せてやれ!」
応!と叫ぶ声が方々から木霊して、突進していった。
――――――――-―
三月の後、奥州は静寂を取り戻した。
藤原氏は敗れ、かつての館の跡は、無惨な廃墟となった。
虫の音だけが響く中を十六夜の月に照らされた二つの影がゆったりと歩いていた。
「もの淋しいものじゃのう....」
ひとつの影が呟いた。
「栄枯盛衰は世の慣らいとは言うが....」
今ひとつの影がくるりと振り向いた。
「いずれ、あやつもこうなる.....」
月明かりよりも澄んだ金色の瞳がキラリと光った。酸漿よりも赤い眼がニッ......と笑った。
「此方の御霊も取り込むのか?」
金色の眼の化生が、問う。赤い眼がゆらゆらと揺れる。
「そうだ。我らはひとつになるのだ。この奥州の地に生きたホツマの御霊をひとつにせよ、との我が神、我が主のお達しじゃ」
弁慶は、望んだとおり鬼に変化した。小野篁に導かれ、坂上田村麻呂に破れたアテルイとモレに会った。彼らの力を得て、ホツマの神に仕え、祀ろわぬ人々の仇を果たす真の『鬼』となった。
―後悔せぬのか.....―
と心配そうに見守る遮那王に、にっこりと笑い、
―せぬ。.....遮那王、愛している―
そして、弁慶は『人間』を捨てた。
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