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第88話 夢の跡(四)~終幕~
今は夏草の生い茂るばかりになった平泉を僧形の男と市女笠を被った女がゆったりと歩いていた。
「兵(つわもの)どもの夢の跡....じゃのぅ」
草原を波のように風が渡り、ざわざわとさざめく。被衣の内からわずかに覗く紅い唇が呟いた。
「かかさま~!」
あちらから、愛らしい少女が走ってくる。
「我れは母では無いのだが...」
ぷぅと口を尖らせる様に、僧形の男が苦笑する。
「あいつが、そう教えたんだから仕方なかろう。遮那王.....」
「まったく、頼朝めが...!」
そう言いながら、金色の眼は少女の笑顔に優しく応える。
「だが.....げに恐ろしきは女よのぅ.....」
「うむ...」
頼朝の死後、将軍職を継いだ頼家は暗殺され、その弟も頼家の息子に弑された。そればかりではなく頼朝に忠義を尽くしてきた家臣達、あの梶原景時も、謀叛の疑いにより、一族をことごとく誅された。唯一、北条氏を除いては.....。
「頼朝を殺したのも、政子なのか?」
弁慶の問いに遮那王は顔を曇らせ、短く答えた。
「うむ」
遮那王の脳裏に、頼朝の遺体に語り掛ける政子の声が甦った。
―頼朝さま、今まで、よう頑張ってこられました。後は私達にお任せくださいな。私の子では無いあの子達も、いずれは.....―
少女は、頼朝が隠れて通っていた女の子供だった。母親は既に亡くなり、景時の屋敷にこっそり隠されていた。
頼朝の最後の頼みは、この姫のことだった。
「あやつに子育てを押し付けられるとは思わなんだわ」
弁慶は大きな手で、『かかさま』の肩を抱き寄せ、静かに呟いた。
「梶原どのの危惧は本当だったんだな...」
「信じたくは無かったがな....」
ふぅ...と弁慶の口から大きな溜め息が漏れた。
「全ては北条氏と、その背後の龍のせいだったのか....義経が苦しんだのも、藤原氏が滅びたのも.....」
「権力欲に取り憑かれた化け物達の所業は、我らのような化生より、遥かに恐ろしいものだからな....」
遮那王は少女の差し出した小さな花束を見つめて呟いた。
そして少女が再び走り去ると、き....と背後を睨んだ。
「とうとう、あなたはお恨みを晴らされたわけだ.....上皇さま」
―我れが命じた訳ではない。.....忠義を尽くしてくれただけのこと―
乱れた髪も結い直し、白の束帯姿でにたりと崇徳上皇が笑った。
「この仇は、いずれ取らせていただきますぞ。のぅ将門どの...」
頷くように背後で鎧がガシャリと鳴った。
―国香の子孫に好きなようにはさせぬ...―
「我らは化生にごさまいますゆえ。....のぅ弁慶」
「然り」
弁慶が鬼灯の眼を爛と光らせ、背後を払った。上皇の亡霊は既に消えていた。
「ととさま、かかさま、帰ろう~」
少女が弁慶と遮那王の手を取った。
二人は微笑みながら、頷いた。
―お覚悟めされよ...―
肩越しの鎌倉は遥かに、夕陽に赤く染まっていた。
―了―
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