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04 三枝の部屋 向野

    *  タクシーで深夜もやっているステーキハウスへ行った。途中、24時間営業の大型安売りスーパーで、サンダルを買ってきてくれた。暗がりのステーキハウスでは、誰にも目を止められることなく、温かなランプに照らされたテーブル席でステーキを食べた。300gのサーロインをペロリと食べると、三枝と名乗った男は驚いていた。細い身体の割にはよく食べる方だ。皆が驚く。三枝が注文したフィレステーキの半分とシーザーサラダも多めに貰って食べ、少しだけむしゃくしゃした気分は晴れた。  三枝のマンションは結構近かった。渋谷方面を抜けたことは分かったが、三軒茶屋を越えるともう頭の中で地図は描けなくなった。川を越えた様子はないから都内であることは間違いない。  7階の奥の部屋に案内された。長い廊下は部屋またはウォークインクローゼットもあることを匂わす作りだ。リビングダイニングが繋がった広い造り、隣のトールウォールの向こうは寝室だろう。一人で住むには広すぎる。 「誰と住んでるの?」  食事していたら「ですます調」は無くなっていた。恐らく自分より5か10は年上だろうが、それを気にする様子もない。 「今は、一人だよ」 「リコン?」  答えに間が生まれた。まだ傷が癒えてない時期だったろうか。部屋を眺めまわすのをやめて、三枝の顔を見る。固まっていた三枝が視線に気づき、避けるように窓へ向かうと夜風を取り込んだ。乾いた空気が心地いい。 「オトコだよ、3年付きあってたけどね。別れた」  さっき、楽屋でみたアツシのつまらなそうな顔を思い出す。 「理由を聞いても?」 「浮気だよ」 「どっちの?」  素っ気ない答えについ続けてしまった。三枝は窓辺から離れ、寝室のクローゼットへ向かった。部屋には絨毯が敷いてあった。裸足で歩き回ったことを思い出し、躊躇って入口で答えを待つ。 「彼。三年目の浮気って定説は当たってるのかもね。つまみ食いだってさ」  奥で引き出しを開けてゴソゴソ始めた三枝の表情は窺えないが、どうしても聞いてみたかった。 「別れる前って、喧嘩した?」  答えはない。 「どうして浮気ってわかった?」  今日一晩などと、当てつけのつもりで酷い提案をしたのは自分だが、アツシにバレる可能性はあるのだろうか? 「うーん。すれ違いが増えたんだよね。会話も減って」  その言葉にドキリとした。一緒に住んでるアツシと、最近会話が減っていた。食事や休日、なにもなくても二人でいることが多かったのに、最近は忙しすぎて、すれ違いといえばすれ違いの生活だ。でも、アツシが避けているのではなくて、自分が転職活動で忙しかったせいだ。仕事が見つかるまで、単発のバイトやフリーランスの知人から、仕事を貰ったりして忙しくしているせいだ。  三枝が手に持った服を渡してきた。 「返す必要ないから、明日これ着て帰って」  上に載ってるTシャツは真新しい。捨てるには勿体ない気がした。 「黒が良かった?」  と言われ何故だろうと顔を見上げると、はっと三枝の表情が変わり、服を取り上げられた。そのままリビングを突っ切っていく。慌てて後を追う。 「いいよ? それで」 「いや、今渡すと俺がシャワー浴びてる間に、向野くん帰っちゃうでしょ?」  隠し場所を探すようにリビングをうろつく三枝を追う。そういう手もある。だが、言い出したのは自分だ。  アツシの我儘をかばってメンバーと喧嘩になったのに、追いかけても来なかった。迎えにこなかったアツシへの報復だ。…というより、今はなんだかひどく疲れていて、彼に会いたいくない気分だった。 「しないよ、そんなこと」  三枝を追いかけて、バスルームへそのまま案内された。タオルとバスローブ、歯ブラシを手渡される。 「これ彼の?」  なぜだか三枝は笑った。 「彼のものは全部捨てたし、ベッドもソファーも買い換えたよ」  三枝には背伸びしても届かない何かがある。三枝が笑うたび、なぜかドキドキする。会ったばかりだというのに、こんなに揺さぶられるのは何故だ?  嫉妬深いアツシは、今日帰らない自分をどんな思いで待っているだろう。  眠れずに一晩過ごすだろうか。  反省してくれるだろうか。  それともそんな素振りも見せずに、「オマエの猫の餌も、俺がやったんだぞ」と、いつものように不機嫌に言うのだろうか。  3年目の浮気? そんなものはない。俺らは高校からだから10年も続いている。一緒に住むようになって6年だ。そんなものはない。  浴室から出ると洗濯機が静かに回っていた。どうせバンド活動は休止だから、あんな衣装など捨てても良かったのに。三枝は律儀だ。  バスローブなど着用したことがないから気恥ずかしい。用意されたタオルを頭に被ると柔らかい香りがする。一人暮らしなのに、掃除も洗濯も行き届いているようだ。歯を磨きながら、水撥ねのひとつもない洗面台を眺めた。  アツシは家事なんか一切しないから、朝起きて掃除をし、くたびれて帰ってきても夜ご飯を作り、週末にまとめて二人分の洗濯するのもすべて自分だ。家事が嫌いなわけではないが、ブラック会社に勤めてたころは、忙しすぎて掃除ができなかったり、洗濯するのが億劫だったりしたこともあって怒られた。手伝ってほしいわけではないのに、分担しようと提案し喧嘩になった。疲れていることを、わかってほしかっただけなのに。  リビングへ戻ると、三枝がタイミングよく、冷えた水のペットボトルを渡してくれた。 「あれ? 毛先が」  三枝がタオルの下を覗きこんでくる。 「スプレーだから落と、した…」  伸びてくる手を払い除けられなかった。ペットボトルを開けようとして両手が塞がっていた。  広げた手が首すじを覆う。大きい手だと知る。指先がまだ濡れた毛先を遊ばせる。耳の後ろを触れられるとゾクリとした。雫が一筋、首すじを落ちていった。唇が歪んだ。 「僕はこっちの方が好きだな」  驚いて一歩下がった。その反応に驚いたように三枝の手が離れた。  そんなセリフを口にするなんて、恥ずかしくないのだろうか? 顔が熱くなった気がして俯きながら離れた。 「早くシャワー浴びてきてよ」  名残り惜しそうに三枝がなにか言おうとして、口を押えるのが見えた。また笑ったのだろう。

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