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05 三枝の部屋 向野
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音楽を断ったことを後悔した。具合が悪くなりそうなほど心臓が煩い。間接照明とフットライト、柔らかな光が灯されたベッドに死角はなかった。
バーで見せた度胸はどこへ行ってしまったのか、怯えていることを悟られないよう、先に立ってベッドへ向かうが、後ろから抱きしめられた。耳元に吐息がかかる。身長差を改めて感じる。180cmはあるだろう。
肩をつかまれて向かい合う。顔を、見上げることができなかった。さっきのように掌が首すじに添えられた。顔が近づいてくる。キスだ。いいさ、それくらいするだろう。
唇が触れる。他人の体温が重なる。下唇を舐められた。そして、挟まれ吸われる。三枝の左腕がいきなり腰に回り、身体が触れ合うほど引き寄せられた。シャワーから上がったばかりの彼の体温は高く感じた。首に当てられていた手が頬を覆うと、閉じていた歯を割って三枝の舌が挿入される。
「…んっ」
舌が乱暴に動き、声が漏れた。奥へ押しやられたかと思うと、絡めとるように持ち上げられ翻弄される。歯がぶつかるほど口を開かされ、舌を吸い寄せられ、絡められる。息ができない程口腔を責められ、思わず両手で三枝を押しのけようとしたが、硬い胸板はピクリともしない。指先が開けた胸元に触れ、三枝の体温が高いのではなく、自分の指先の冷たさを自覚した。温かさを求めて自然に手を開き、体温をもらう。
「う…、ん」
頭一つ分違う身長差では、この態勢を続けることさえ苦しく、呼吸もままならない。飲み切れなかった唾液が零れそうになると、三枝はそれを吸い上げた。視線が絡んで、頬が熱くなる。ようやく離れた唇で、息を吸い込もうとするとまた塞がれる。苛立ちに拳で胸を叩くが、密着している分、弾みをつけることもできず大した打撃にはならない。密着した肌に熱が籠って落ち着かず、一歩下がろうとするが、抑えられた腰は少しも離れない。
頬を押さえていた三枝の手が髪を弄る。頭を下から撫でられるとゾクリと背中が逸れた。髪が擦れる音が頭蓋骨を通して聞こえる。頭の形を指先で把握し、耳の位置を確認するよう通り過ぎ、また戻る。腰を抑えていた手がいつの間にか尻を撫でていても、抵抗を感じなかった。
「あっ、ん。う…、ふっ」
感覚が壊れたのか、自分でも驚くほど声が漏れていたことに気付き、慌てて息を止めようとするが、呼吸するように声は漏れ続けた。息もできないせいか、ドクドクと鳴る心臓の音が、どんどん速くなっていくのがわかった。目が回り瞼を開くこともできなかった。
三枝の右手がするりとバスローブの中に潜りこんだ。肩を撫で、腕へ降りる。頼りない肩があらわになると、三枝の唇が鎖骨へ落とされた。指先が胸元に移動し、乳首に触れた。
急激に、身体の中心に血が集まるような律動を感じ、全身が震えた。
「やっ…!」
いつの間にか、しがみ付く形になっていた手で、力いっぱい押し返す。三枝の指先が乳首を摘まみ、指の腹で先端を擦った。
「やめ…っざけんな!」
叫びながら、身体を剥がそうと藻掻くと掴まれていた腰が離れた。強い警戒心に力が出た。勢いでさらに手で押しやろうとして、掴まれてしまった。半回転しただけの身体が、ゆっくり引き寄せられる。
「…なに?」
宥めるような小さな声で三枝が聞いてきた。
「何じゃない。どこ触ってんだよっ」
浅く息継ぎをしながら、怒鳴ったつもりが、声はかすれてしまった。たったあれだけのことで、乳首がヒクついているのがわかる。中心の違和感に内股気味に腰を屈め、はだけたバスローブを肩に掛けソレを隠した。
「…えっと」
三枝が掴んでいた腕から力を緩めてくれた。が、えっと、と繰り返し、動揺を見せた。
「まさか、初めてじゃないよね?」
ふざけた質問が宙を舞う。カッとなって口が勝手に開いた。
「アツシ以外は初めて……だ」
出すつもりのなかった名前を言ってしまった。後悔した。
三枝が眉を顰めるのがわかった。だが、紳士になるつもりもないようだ。威圧的にベッドに座ると、一呼吸おいて見下すように言い放った。
「そのアツシって奴は前戯なしですか?」
意地悪な口調と、『前戯』という言葉に思いがけず固まってしまった。表情を読み取った三枝はさらに驚いたようだ。「嘘でしょう」という言葉が漏れる。逃げだしたくて、足が震える。
アツシ以外を知らない。
高校時代、急に触られて、そのまま犯された。好きだった。だから許した。したくなるといつも直接触れてくる。ゲイではない、アツシだから許したのだ。だからそっちの情報を知らない。この時代、エロ画像も動画も、探ろうとすればどうにでもなる。でも男が好きなわけではないから、もっと知ろうとは思わなかった。男女のそれとは違うものだと、思い込もうとしていただけだ。アツシの求めに答えているだけで十分だった。
自分だちの関係が、未熟だと知らされたくなかっただけだ。
「おいで」
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