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09 シェアリ 向野
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猫に踏まれて粉々になったスマホ画面をスワイプして、向野はスケジュール帳を起動した。『シェアリ』のいつもの席で靴を脱ぎ、後ろを振り返る。ガラス塀の入口には、名前も知らない緑が枝葉を伸ばしている。顔が見える位置ではないはずだ。奥にある窓際の二人用の席に今は誰もいない。三枝のシルエットを想像する。こんなところで、知らない間に見られていたなんて。
あの後、バーのあった新宿駅を使うときは、すれ違う人の顔を見ていた。もしかしたら、偶然会うことがあるかもしれない。移動はほぼ地下鉄だったのに、新宿乗り換えがあればそちらのルートを使うようになっていた。渋谷駅の乗り換えも、三枝の家へ向かう地下鉄寄りの通路を使うようにした。探しているのだと気付いた。
三枝に、もう一度会いたいと思っていた。
会ってどうするかはわからないが、会いたいと思っていた。
ならいっそあの店にもう一度行ってみるか? 部屋を知っているのだし、直接行くこともできる。けれど、会ってどうする。一晩、そう区切ったのは自分だ。世間知らずで厚かましいガキが、またタカリに来たと思われるかもしれない。そう思うと行動には移せなかった。
電話の向こうの声に気付かなかった。こんな偶然があるなんて…。
スケジュール帳を開き左にスワイプして、5月のカレンダーを出す。「live」と書かれたタスクをタップする。「MEMO」をタップする。アルバムからも、写真履歴からも消した画像がそこにある。あの部屋を出る前に撮った、寝ている彼の背中。
さっき二階に上がった瞬間に、すぐにわかった。三枝の背中。
「話がしたい」
そんなこと、許していいのか? 電話番号もLINEの交換も拒否した。
証拠は残したくない。会社の上司との履歴だけで疑われた。仕事を貰っている女性との仲まで疑われた。ここしばらく、アツシとは顔を合わせていない。完全にすれ違い生活だ。だから、今更自分のスマホなど覗かれる可能性も薄いけれど。
アツシと以前のように仲良くなれるなら、この画像は消してもいい。
「話せば話すほどもっと好きになった」
そんなセリフをいう人に、「話がしたい」などと言われて承諾できるか。考えなしにそんなことをいう三枝に腹がたった。
スケジュール帳を右にスワイプして今日の日付を確認する。
「水曜」をタップして黄色にした。
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