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15 焦燥 三枝
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今週の水曜日、『シェアリ』に向野は姿を現さなかった。ビビらせるつもりはなかったのだが、見限られただろうか。
こういう時、連絡先も聞かずに過ごしたことを後悔する。会社名も住んでる場所も知らない。
夜になって、二人が出会ったバーへ行ってみる。お酒も飲まないし、バンドもやめた彼に、こんなところで会えるわけがない。
カウンターに寄り掛かると、濃いめのハイボールがすぐ出てきた。
「その後、姫とはどうなった?」
「バーデンがそんなこと聞いちゃだめでしょ」
「ヘイヘイ」と反省するでもなく、友達は受け流す。ハイボールをグビグビと半分ほど飲んだ。蒸し暑い日は炭酸が進む。
「元々、京ちゃんの好みじゃないもんねー」
「…うるさいよ」
「あら機嫌悪い。そういえば、最近ここに来るようになったジャズマンが、京ちゃん好みのぽっちゃり系だよ。今日はくるかなー」
ぽっちゃりか。確かに向野以外、付き合う子は皆ぽっちゃりだった。そういう体型の人は、常に微笑んでいるような人が多い。性格も温和だ。そういう体型になる子は、気の持ちようが違うのだろうか。大抵幸せそうだ。ピンチに対峙してもさして慌てる様子もなく、なるようになれで行動し、結果が良かろうと悪かろうと、あまり左右されない。「うまくいったよ」と笑い、「今回はうまくいかなかったね」と笑い、終わる。
向野のように、いつでもトゲトゲとしている子はいなかった。結果が出る前に、悪い未来が見えて立ち止まってしまう。彼は武装するしかなかったのだろうと思う。不器用だ。自己評価が低い分、自分の思ったことや本当のことを言うより、人に嫌われない対処を取りたがる。以前コールセンターの話をしていた。コールセンターのマニュアルが護身術だというのはそういうことだろう。自分がどう思うかより、平均的に人の思う回答をすることで自分を出さずに護っている。
あまり人を信用していない。きっと会社を転職するのも、人間関係が主な理由なのではないかと思う。信頼すると人懐こいようにも見えるが、危機と感じるとせっかく懐に入っていたのに、一気に攻撃に転じてしまう。危なっかしい。
適当なつまみと二杯目のハイボールを置いて、バーテンが店に入ってきた団体を出迎えにいった。
向野は、助けてとは言わないのかもしれない。溺れても、崖から落ちそうになっても、叫べば気付いてくれる人がそばにいても、静かに藻掻いてなんとかしようとするのだろうか。誰かが助けてくれるかもしれないと期待して裏切られるより、自分で失望して飛び降りてしまうのだろうか。
バーテンが横にきて、ニヤニヤしながら腕を軽く叩いた。
「きたよー、ジャズマン」
そういわれて先ほどの団体の方へ視線を向けた。入口近くのテーブル席に5人の男が、どう座るか話し合いながら、荷物を降ろしていた。端っこでぽっちゃりした男がニコニコしながらやり取りを見ている。肩や腕に大荷物をしょったまま、やり取りをみている。
「…うん、かわいいね」
「あははー。こっちきてもらう?」
向野の寂しそうな目を思い出す。久々に触れた、細い手首の形を思い出す。
「いや、僕フリーじゃないし」
「えー? なんだ、残念」といいながら、店員はつまらなそうにカウンターの中に戻っていった。
向野を守りたい。そばにいたい。
店員が離れるのを待っていたように、横に寄ってきた男がいた。三枝の顔をマジマジとみて、「あ!」といいながら指を刺した。
「やっぱりそうだ。姫をお持ち帰りした人だよね」
失礼なやつだ。一応目先だけで挨拶をする。あの晩、見た顔かもしれない。
「すみません。僕、東口の方で働いているんですけど、こないだ偶々自分の店で姫をみて…」
唐突にしゃべりだした男を二度見した。
「…は?」
こんなチャラい風体の男が働ける店とは、どんな店だろうと不安になった。どこで売ってるのかわからない、きらびやかな服をきて、一部赤い髪を子どものようにリボンで結んでいる。見てくれで判断してはいけないと思うが…、そこまで考えて今日は苛立っているということを実感した。
「いやうち、大型ディスコがつぶれたハコで、団体様に貸し切ったりするような居酒屋とか、カラオケとか、そんなやつでね。同窓会とかでよく使われるんですよ」
「同窓会…」納得はしたが、そんなものに向野が行くとは思えなかった。三枝が疑っているのを理解しているようで、「でも」と繋げた。
「いたんですよ。たしかに姫だったんですけど…」と言い淀んだ。
「…じらすな」と詰め寄ると、声を潜めて男が言った。
「イジメられてました」
「俺がその部屋に入った時、すでになにか飲み物かけられたあとみたいで、びしゃびしゃで。頭から酒ぶっかけられたみたいで。隣に座ってたパツ金の兄さんが、さらにアルコールかけて。俺びっくりしたんですけど、姫は微動だにしなくて…。部屋にいる誰もがそれを黙ってみてて、ていうか、楽しんでるみたいな空気で。
なんだこれ、ヤバいなと思って止めに入ったんですけど、姫は『ゲームですから』って冷静な感じで言って」
パツ金、金髪頭ならバンドマンにもいそうだ。考えたくはないがそれが向野の言う彼氏だろうか。彼氏の誘いでなければ、向野がそんなところに行くわけがない。
「ふら付いて倒れた姫を、パツ金がさらに蹴りやがって、俺ホント頭きました。応援呼んで、姫を従業員用の控室に連れて行ってもらってる間、パツ金はなんか喚いてましたけど、酔っ払ってるみたいでほとんどなに言ってるかわかんない感じでした」
暴力を振るうような奴だとは思わなかった。そんなことも黙っていたのか。
「助けてくれて、ありがとう」というと、「いや別に…」と、赤いちょんまげはテレながらどこかへ消えた。
バーテンが待っていたようにカウンター下から顔を出した。
「あれれ? まだ付き合ってるの?」
「うるさいよ」平静を装ったつもりだが、うまくはいかなかった。
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