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16 手がかり 三枝

     *  家に帰って高い度数の酒を出し、ロックで飲んだ。  向野に会う方法を考えなければならないが、そんなものあるわけがない。それ以外考えることがあるわけでもないが、眠れない。  自分がいかに話下手かということを、こういう状況になって痛感した。日常会話の中でも、地名や固有名詞を求めないまでも、どの周辺に住んでいるとか、近くにいい店があるだとか、そんなことすら聞いてなかった。特に向野の場合、どの店が美味しかったとか、どこで何買ったなんて話は全くしていなかった。そこまで思い至って、まさか、住んでいるところや会社の所在地もわからないよう、敢えて避けていたのだろうかと考える。  結局、無駄に夜を過ごして終わった。寝起きは当然悪い。冷蔵庫から水を出しながら、冷蔵庫の中を眺めたが、特に食欲もないことを確認し、水のボトルを持ってきてテーブルに座る。  外は雨だ。気温は下がらないから空気が淀んでいるようで、呼吸が重い。来月はまたイベント展示がある。来年展開予定の企業に建築士として参加要請されていた。そろそろ資料をまとめないといけない。最近は現場にいくことより、パソコンに向かっていることが多い。パースを描くより文章を書いている。自分がなに屋かわからなくなる。  水を飲みながら、ノートパソコンを開き、メールをチェックする。例の企業の窓口となった子から5連続でメールが来ている。急ぎかと思い、一番新しいメールを開くと、長い文章が目に入った。…要領が悪そうだ。  ノートを閉じて顔を擦る。  今日は木曜だから、『シェアリ』に行っても向野に会えるわけはない。でも、会いたい。情けないことにそれしか思わない。  手の中のため息が、酒くさい気がした。シャワーを浴びてから向かうことにした。  渋谷に着く頃、雨が止んだ。出かけたことを後悔するくらい、湿気がまとわりつき、一気に気温も上昇する。不快指数は100パーセントだ。車はやめて電車にしたが、人込みがさらに不快指数を上げる。ようやく『シェアリ』が入っているビルに辿り着き、エレベータホールでひんやりした空気にありつけた。  安堵しながら伸びをして、「あれ?」と何かがひっかかった。辺りを見回すが、資料を持ったビジネスマンと、エスカレーター、喫茶店、夏の期間中だけ出展されているアイスクリームの屋台があるだけだった。  『シェアリ』に着くととりあえず、彼がいつも座る席を確認してしまう。それから店内を見渡して、やはりどこにも彼がいないことを確認する。常連と、打ち合わせをしている人が何名かいた。スキンヘッドの男がドリンクコーナーでこちらを見ていた。ずんぐりむっくりした体型に、無理矢理ブランドものの服を合せている。風船のように張り出た胃袋が破裂しそうなほど出っ張っている。彼も最近常連だ。成金臭い。向野の嫌いなIT業界の人間だろうか。  自分の定位置に座って仕事を始めた。  5連続メールの子に、どうメールを返すか悩んでいた。普通に対応してもいっぱい質問状が来そうだ。この子にわかるように返信をするには、超論文になりそうなくらい時間がかかりそうだ。面倒だが、上司同席で会える日はないか、簡潔なお伺いを返した。  そして、先ほどの違和感の正体に気付いた。喫茶店のガラス越しに、見たことのある人がいた気がしたのだ。慌てて、ノートパソコンを閉じた。    *  駅改札通路の2階に降りて、先ほどの喫茶店のガラス越しを見る。しかし、一足遅かったらしく、そのテーブルをウェイターが拭いているのが見えた。膝に手をつきながらため息をつくと、喫茶店のドアが開き一人の女性が出てきた。  彼女だ。黒のジーンズにスニーカー。意外に歩く速度が速い。見る間にエスカレーターに乗ると視界から消えてしまったので、慌てて後を追う。目の前に絶好調に幸せそうなカップルが並んで立っている。近頃、エスカレーターは歩かないのが正解、右を開けるなというポスターで、急いで事故を起こす人をなくそうと躍起になっている。追い越したい気分を押さえて、彼女の行く先を目で追う。幸い駅には向かわず、裏の道を行くようだ。 「高岡さん」  エスカレーターを降りて声を掛ける。彼女は一瞬振り向いたが、気のせいとばかりにまたスタスタと歩き出した。もう一度声を掛けると、声の主が自分だとわかったらしく、立ち止まってくれた。 「すみません。高岡さん、ですよね」 「…はい」と言いながら、誰だっけと言う顔で睨んでくる。 「このビルの上で、一度、向野くんと打ち合わせしているあなたを見たことがあります」  向野の名前に鼻にシワを寄せた。 「…なんだ、イケメンは忘れないのに、誰かと思ったら…。知らんわ」  独り言のように彼女はそう呟くと、踵を返して歩き出した。イケメン? と褒めたのに突き放された。扱いにくそうな人だ。だが、ここで食い下がらないわけにもいかない。こういう場合は愛嬌を振りまくしかない。 「えー、ちょっと。時間ないですか?」 「あーはい。ないですわー」そう言って歩きながら、三叉路にたどり着くとキョロキョロとして右の道へ行った。 「歩きながらでもいいんですけど、少しお話しできませんか?」 「いやぁ、知らない人と話しちゃいけないって言われているんでー」  そういいながら、道の先をみて、あれ? というように道を戻った。追い越してしまって慌てて後を追うと三叉路の左の道を行く。 「向野くんのことで少し…」 「でしょうね、そういうことでしょうね。でも、私、もう彼とは喧嘩して、連絡取ってないので、なんも知らないんすよ」と言い、立ち止まった。道路の標示看板をみている。…方向音痴か。 「どちらに向かわれるんですか?」  彼女がスマホを出してこちらに画面を向けた。南青山だ。ハイブランドの細道を行ったところに目的地があるようだ。 「打ち合わせは何時ですか? 間に合うようにお連れしますよ」  そういうと、険しい顔がぱっと緩み、 「ホント? ならいいですよ。つか助かる」と言ってくれた。 とりあえず、 「少しゆっくり歩いてもいいですか?」息が上がってる三枝をみて、高岡が、「はあ」とゆっくり答えた。深酒が身体に沁みていた。

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