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37 実家 三枝

     *  都合12日間入院した。肋骨より直腸の処方を嫌がり、向野は激しく暴れた。定期的にしようとすると定刻に逃げてしまうので、ふいうちにしたが無駄だった。眠っているときに…、そうも思ったが、発狂されては叶わない。 「どうも、太腿や尻に触られるとトランスするな」  傷跡を考えれば、その箇所に触れられたくないだろうことはわかるが…。 「後ろに立つだけでも怖がられる」  なんか他にあるかもしれない…。そういいながら、医者が付け足した。 「昼飯の菓子パンを加えながら話しかけたら、大絶叫で…」  医者としてのモラルを問いたいところだが、彼がダメとする現象を身をもって探ってもらえたことは感謝すべきことだ。ただ、鎮静剤を使う回数が増えたと、疲れ気味に清原が言った。  自分がやろうかといったが、医者は断った。 「嫌われ役は医者がいい」  向野は自覚なく暴れて悲鳴を上げた。脳のCTは異常なしだった。薬が抜けきれないせいかもしれないし、PTSDかもしれない。清原は再三、ちゃんと専門医に診せろと言ってきたが、拒んだ。向野のためを思ってではなく、恐らくそれ以上に自分が離れたくなかったせいだ。 「助けて」  向野が伸ばす手は、自分を求めているのだと思った。そう思いたかった。伸ばしたその手は、三枝に届いていることを、気付いていないからこそ暴れるのだろうと思った。だったら、四六時中そばにいてやるべきなのは、医者ではなく自分だ。本人の体力を奪い続けることになるが、薬の力で鎮静するべきではないと思った。  入院する前はもう少し話ができたはずだが、会うたび悪くなっていった。それは医者のせいではなく、悪夢やフラッシュバックを繰り返しているせいだろう。日増しに悪化する状況で、医者でなくともまともな人なら清原の意見に賛同するはずだ。自分の選択が向野の人生を奪うかもしれない。  それでも――。  実家への帰路は人混みには不安があったし、長時間座ってはいられないので、飛行機も新幹線もダメだった。のんびり車で帰ることにしたが、道中はのんびりとはいかなかった。長い旅になった。  眠りが浅いと夢にうなされるようだ。向野はしきりに呻きながら、なにかを払う仕草をした。虫かなにかが身体を這う夢でもみるのだろうか、身体を掻き毟ることもあった。暴れて身体を傷つけないように、声を掛けたり抱き留めたりしてみるが、あまり意識はないようだった。 「京…さん、京さん!」  振り払うように手を伸ばす。ここにいて、抱きしめている自分がわからないのだと思うと悲しくなった。向野の中で、まだ自分は彼のもとへ助けに行けていないようだ。発作的に起こるそれはスケジューリングできるわけでもなく、様子を見ながらゆっくりと移動するしかなかったため、何日も車中泊をした。一日2時間しか走れない日もあったが、移動していることを感じさせないよう二人で景色を眺めながら散歩したり、星空を仰いだりして過ごした。  実家は瀬戸内海に浮かぶ島の一つにあり、山を切り開いたミカン畑と海しかない、つまらない土地だ。  家につくと、なぜか弟の航がいた。嫁の産後の肥立ちが悪いと聞いていたが、長女が生まれてから7カ月も経つ。もともと腰痛持ちだったらしいが、そのせいか入退院を繰り返しているらしく、実家に戻って母に助けを求めたそうだ。  昔病弱だった母は、最近はすっかり良くなり、ミカン畑を切り盛りしていた。そんな母だからこそ、彼女の気持ちがわかるのだろう、嫁に付き添っているらしい。  こちらの経緯を話すと同じような状況にあることに、二人で顔を見合わせた。 「なんか、今日は焦点があってた気がしたわー」  航が台所に入ってきた。 「奈都は寝た?」  うんと頷き、冷蔵庫を開いて食材を漁る。ここに来て一週間が経っていた。向野は相変わらずぼぅっとしていたり、暴れたりを繰り返し、疲れて寝ていることが多かった。  特にそうしてくれと言ったわけではないが、航は毎日のように自己紹介をした。赤ん坊に何かあってはいけないので、部屋を分けてはいたのだが、病院から自宅点滴を依頼して、医者を通しやすい部屋に向野を移動した。状況について少し医者と話しているうちに、奈都が侵入したらしい。  どちらも無事でよかった。航が牛乳を飲みながら言う。 「案外、赤ん坊っていいんじゃないかなー。動物セラピーとかあるじゃん。小動物って癒しだと思わん?」 「赤ん坊を小動物って言うなよ」 「えー? 可愛さと癒しの存在感で言ったら、どっちも尊さハンパなくない?」  敢えて否定はしないが、自分の血を分けた子どもを、小動物と並べていいものかどうか…本人がいいなら別にいいか。 「…で、夕食なにがいい?」  空いたコップを置くと、腕を組んで航は楽しそうに悩み始めた。嫁が辛いときに、こんな状態の自分らを受け入れてもらえるかと躊躇ったが、何年振りかに会う弟は、やけにあっけらかんとしていた。

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