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第4話

〈陽季〉 銀座の『一会』で再会してから、長瀬はちょこちょこ覗いてくれるようになった。 でも、驚くことに、絶対来てくれないと思っていた篠原さんが、僕のコーヒーをとても気に入ってくれて、最初に来た時に、この粉が欲しいと言ってくれた。 それからも、純粋にコーヒーの為だけにだけど、カフェに飲みに来たり、粉を買いに来てくれるようになった。 まあ、もっとも、僕に対しては相変わらずで、一切VIPルームには入って来ないし、たまに僕がホールを回る時間に居合わせても 「いらっしゃいませ」 「あ、どうも」 だけ。 ちょっと溜息が出るけど、でもいいんだ。 この人はあの、長瀬を愛してる。 長瀬を愛する人は、長瀬以外は目に入らないんだ、ってこと、僕はよく知っている。 そしてそれは当然のことで、長瀬は本当に、愛されるべき人間だから。 でもどこか満たされない、寂しげで頼りない目が、やはり僕はとても気になるのだった。 今日も、長瀬と一緒に来て、長瀬はこっちに来てくれるのに、あの人はホールに座って、ウェイトレスをからかい、佐々木と談笑する。 「ったく、あいつは何であんなにヘンコなんだ?こっちに来て一緒にコーヒー飲めばいいじゃないか、なぁ」 長瀬が膨れる。 「ハハ…でもさ、ああやってあそこに座ってくれるお陰で、彼目当てのお客さんが増えて、けっこう助かってる。……どう足掻いたって、彼は落とせないのにね…」 思わず、ボヤいたみたいになってしまって、長瀬に気付かれやしなかったかと肝を冷やしたが 「ハハッ…だな~」 と笑っただけで、大丈夫のようだった。 時が行き、篠原さんが初めて《lune》に来てくれたのは春だったのに、もう薄手のコートを着なくてはならないくらいの季節になった。 その日はこの秋、一番の冷え込み、と天気予報で出ていた日で、とても冷え込んでいて、スーツ姿の篠原さんは 「寒い寒い」 と店に入って来た。 だが、生憎ホールが一杯。 佐々木が強引にVIPルームに引っ張ってきた。 丁度、ターニーと取り巻きが帰った所で、僕は篠原さんと2人きり。 気まずいなんてもんじゃない。 でも、でも足がふわふわ浮くほど嬉しい。 佐々木、ありがとう! 「どうぞ」 僕はいつものコーヒーを篠原さんの前に置こうとソーサーを持った手をカウンターに伸ばした。 「あっ…!」 「ごめッ…」 下を向いてスマホを弄っていた篠原さんが、スッと上げた手に、カップが当たって、熱いコーヒーが僕の手に溢れた。 カウンターから立ち上がり、一瞬でカウンターの中に入ってきた篠原さんは、僕の手を取り、水道の水を出して冷やそうとした。 「い、いいですッ」 「ダメだ、すぐに冷やさないと痕が残んだろ!」 「大丈夫、です…から!」 僕はパニクって篠原さんを力任せに離そうとする。 だって、恥ずかしすぎる。 〈章也〉 「ちょ、貸せ…手ッ……こら…」 「…やッ…いい…いいです…ッ……」 ガタンッ! 必死で胸を押してくるから、ちょっと力を抜いて、落ち着かそうとしたら、最大限の力を振り絞っていたらしい人形は仰向いた格好で派手に尻餅をついた。 ………! 10cm以上はある… 赤く盛り上がったミミズ腫れのような傷痕。 パッと髪を直し、傷痕を隠す人形の仕草に…俺は、気付かなかった振りをする。 「ごめんなさい…ハハ…コケた…」 人形は顔を伏せながら立ち上がった。 「い、いや…俺が……すまない…あの」 「あの」 言葉が重なる。 「何?」 「何?」 まただ。 「…大丈夫か?手」 「はい…平気…篠原さん…お洋服、とかは…」 「そんなのどうでもいい。あんたの手が、跡がな…残るんじゃ…」 「女の子じゃないので、少々残っても」 「え?」 「は?」 「いや…まあ、そうなんだが、あんた…女みてぇに見えるから、今の、すごい違和感、って言うかな…何か…」 「女みてぇでも、女じゃありませんから。それから、僕は陽季です。あんたじゃない」 人形が俺を見る。 夜の海のように黒く深い…目…… 奈落のような黒は変わらないが、何故か初対面の時のような脅威は感じない。 寧ろ……その闇に、不安や寂寥が隠れ…変な安心感に包まれる。 ……ッ… 人形が微かに笑った。 ―俺は知ってる……この目…何処かで見た……知り合いだったのか?いつ?…何処で? 「陽季…」 「え?あ、はい…ッ」 「飯…でも行こう…今度…。それの、詫びだ。…俺は、章也だ。章也でいい」 「章也…さん…」 陽季が、目をパチパチ…と瞬く。 「あの、章也さん・・」 何か言いかけた時 「いいかい、はーちゃん」 と、ズルムケ親父が入ってきやがった。 「あれ?ターニー、今帰ったとこじゃない」 少し慌てて、陽季がカウンターを出て谷を迎える。 「もう30分も前だろ?いやな、この近くで人と会っててな、事務所に戻ろうと思ったんだが、ここの前を通ると、どーしてもはーちゃんのコーヒーがまた飲みたくなってな」 「もう…ターニー仕事しなよ」 陽季は呆れたように言いながらも、谷元副総理のオータムコートを優しく脱がせて取り、ハンガーにかける。 ―何だよ、優しいじゃねぇか… 「ん?またでっかいね、君。格好もいい。うん…はーちゃんの彼氏?」 「違うよッ…!もうターニーのバカ。失礼じゃないか!」 陽季が珍しく、声を荒らげる。 「じゃそこで何してんの?」 谷が俺を指差す。 そりゃそうだ。俺は、デカイ図体でまだ、狭いカウンターの中に突っ立っていたのだから。 「あ…ども、すみません…」 俺は壮絶にバツが悪くて、そそくさとカウンターから出るともう、陽季の顔は見ずに 「じゃ、行くわ。どうぞ、ごゆっくり…」 と元副総理に会釈した。 「章也さん…ッ、コーヒー、飲んでないよ?」 陽季の声がしたが、俺は 「またでいい」 と振り向きもせずに言って『lune』を出た。

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