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第11話

〈章也〉 本当は、薬は持ってきていた。 桂に頼んで、陽季が使っている媚薬を調べてもらい、同じ物を取り寄せてもらっていた。 だが、享と離れた新しい部屋でなら、陽季は応じてくれるのではないかと思った。 それがダメで、意固地になってしまった。 思ったより、ショックだったのだ。 心の何処かで、勝手に期待していた…… 幸か不幸か、VIPスペースが、じじぃのブレーンで一杯で、俺はホールでトーストとゆで卵、ヨーグルトサラダにコーヒーのモーニングを摂って 『今日中に片付けたいから帰るわ』 と陽季にラインして店を出た。 陽季を追い詰め、思い切らせてしまうことになるなどと、思いもせずに…… 筋違いに腹を立てていた。 もういい、疲れた、と一瞬思ってしまった。 取り敢えず電気屋へ行き、照明機器を選ぶ。 照明は、前の住人が、半年しか住んでおらず、着けたまま出たのだが、やけに凝った照明で気に入らない。 「Simple is best」 と呟きながら、正方形のシーリングライトをリビングに、ダイニングにはシーリングスポットライトで、黒の小さいスポットライトが6つ直線で並んでいる物、寝室には、フロアースタンドライト、サイドテーブルに同じデザインのテーブルスタンドライトを選んだ。 脚部分はナチュラルなウッディタイプ。 傘はアイボリーで、ごく細い物だ。 後は冷蔵庫にエアコン、電子レンジ、お掃除ロボットを購入。 ほんの1時間程で買い物は終了。 我ながら早い。 マンションに戻り、がらんとした部屋に入る。 「享…新しい生活はどうだ?俺はいきなりどん詰まりだ…ハハ…」 気持ちを軽くしようとして言った言葉は、余計虚しく、ただ広い空間に広がった。 享を愛している。今でも……。 2日前、このマンションの数階上の部屋で、享に 「いつでも来い。俺はいつでもウェルカムだ」 と言った。 愛する男を抱きしめ、最後になるのだろう、と思いながら口づけを交わした。 俺が愛しているのは、やはり享だと思う。 だが、陽季は…陽季が……… 堂々巡りの問いがまた、グルグルと回る。 俺は、その時にはもう、享と陽季をのどちらを自分が愛しているのか解らないほど、陽季の存在が大きくなっているのに気づかずにいたのだ。 「なんだこれ。陽季の忘れ物か?」 カウンターの下に立てかけてある紙袋に目が留まる。 〈To・shoya〉 白い紙袋に、切手のように貼ったメッセージカードに、それだけが書いてある。 中にはビニールで包まれた額が入っていた。 丁寧にセロハンテープを剥がしてゆく。 「これは陽季じゃない、っつーの…」 思わず苦笑が出る。 どうしても陽季にまつわる物は、陽季本人のような気がしてしまい、そっとそっと扱ってしまう。 享といた時も、その前に付き合っていた数人の恋人達の時も、こんなことはなかった。 そう言えば、この前、享と歩いてて、割に狭い道で車も通ってたから、危ねぇなと思って、享を内側に入れたら 「何?その気遣い。俺、女じゃないし」 と笑われ 「何か最近の章也、変わったよな。ソフト過ぎて気持ち悪いわ」 などと言われた。 ―女と付き合うとこんな感じなのか?絶対、女無理だな、やっぱ。こんなこと誰にでも出来ねぇわ。 ゴチャゴチャ考えながら、包みを開く。 「………何だよ…。陽季…お前の心なんだろ?これが…。見せろよ、俺に……見せてくれよ…」 包から姿を現したその絵のタイトルは…《恋人》 「まるで俺とお前じゃねぇか…いいの見つけたな」 殺伐としていた気持ちが少し、柔らかくなる。 洋服など、持ってきた荷物の中から、章也ブレンドとカップを取り出してコーヒーメーカーにセットする。 陽季のコーヒーの香りに包まれながら、その絵を見ていると、少し前に、ここで、陽季を無理に押し倒した自分が、どれほど自分勝手だったかと悔やまれてくる。 「あいつが出来ないたった一つのことを、何で俺は無理強いするんだ…学習能力、ゼロか、ガキが…」 また、思い直した俺は、ゆっくり陽季のペースでいこう…と、今度こそ心に誓ったが、思い込みの強い陽季の心は、俺が思うよりずっと、後退りしていた…… 〈陽季〉 「お祖父様。僕、暫く、ここに来ていい?」 祖父が驚いて、書類を捲る手を止めた。 「どうした?陽季。何かあったのか?一人がいい、と言ってたのに」 僕は、章也と出逢って、あの日、章也を招いてから、それまでは月に1~2度、セックス用に雇ったホストと寝る為にしか使っていなかった部屋に住居を変えていた。 一人暮らしを両親は心配したが、祖父に口添えを頼み、了解を得た。 「特に…何かあった、ってわけじゃない…。逆に…何も変わらないことが解っただけ」 「ん?変わらない?」 「僕は…やっぱり自分本位だ。愛する人の為なら、自分なんてただの、容れ物でいい、って思ってたのに……出来ない…望むことを、してあげられない……僕は…結局……」 「陽季。そんなことはない。お前は変わったぞ?儂は淋しいくらいだ。お前はもう、誰かのものらしい…。儂はそれを肌で感じる。谷さんが言ってる男かな?矢鱈と格好のいい大男…」 「お祖父様…違う」 祖父は僕の頭に手を置いた。 「いいんだ、いいんだ。淋しいが、そんなことを言ってると、陽季が伴侶を逃すと、勇に叱られるからな」 祖父の言葉が、胸を抉る。 「お祖父様のバカッ…!彼は僕のものじゃない…ッ…」 最低だ。 何も知らないお祖父様に八つ当たりか? 結局…僕は、章也を欲しがってる。 もう…ダメだ…… 祖父が、関兼電気の緊急の幹部会に出掛けた後、章也にラインを打った。 『お祖父様の具合がちょっと悪くて、暫くこちらに居なきゃいけなくなったんだ。ごめんね』 直ぐに既読がついて、返信の代わりに電話が鳴った。 『どういう意味だ?怒ったのか?』 「違うよ。お祖父様がね、ほんとに…」 『……そうか。あの家にはいないということか?』 「うん…」 『うちにも来られない…か?』 「うん。ごめん」 『………』 ―章也……黙らないで…ごめんなさい…… 『…店は?』 「行くよ」 『そうか……陽季』 「ん?」 『……悪かったな』 「……章也…ッ」 『じゃ、な…』 ッ…… 「じゃ」 ―章也が悪いんじゃない、謝らないで。 そう言いたかったのに、嗚咽が漏れそうで慌てて電話を切った。 こんなことになるなら、初めから、守るだなんて言って、いい格好するんじゃなかった… さみ様が好きだったマリアの絵が、僕を見下ろす。 さみ様は、この絵のマリアの目が、僕の目にそっくりだと言った。 僕は、久しく開くことのなかった、さみ様の日記を開けた。 ―今日、私の願いをお聞き頂き、久しぶりで陽季様がお笑いになって下さった。本当に美しいマリア様の瞳。だが、奥底の悲しみがやはりまだあった。あの悲しみが晴れるのを見たい。どうしても見たいが、どうもそれはかないそうもない。どうか、陽季さまに、私にとっての甲陽様のような方が現れ、あの瞳の底の悲しみが消えますように。聖母マリアのようなあの御目で、その方を見つめる日を、一日でも早く迎えられますように― ―章也………ッ… 「全然違うよ…さみ様。僕は、マリアになんかなれない……」 悲しくて… 悲しくて… 僕は、さみ様の写真の前に顔を伏せ、大声を上げて泣いた。

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