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第12話
〈章也〉
俺たちは、本当に曖昧な関係だったんだと、こういう時に思い知る。
陽季から、家を不在にする、とラインが来て、電話はしたがロクな話も出来ずに切って、それから店に行ったからといって何と声をかければいい?
陽季が俺のものなんだったら
「いつなら会えるんだ?いつ帰ってくる?週に1度くらい会えないか?」
と食い下がるのに。
自分でも呆れるが、俺は、陽季のいるVIPスペースにさえ入ることが出来ない。
これじゃまるで拗ねてる子どもだ。
さすがの陽季もこんな俺を「世界で1番素敵な男」などとは思わないだろう。
それでも勝手に《lune》に向かう足。
ストーカーだな、殆ど……
午後3時の《lune》―
ランチの客が落ち着き、陽季がホールに出て来る時間だが、この頃は殆ど出て来ない。
「振り出しじゃねぇか…」
「はい?」
「あ、いや。悪い」
愛想よく、振り返ったウェイトレスに苦笑して詫びる。
ホールでただ、陽季を感じ、佐々木が運んでくれる陽季のコーヒーを飲んで帰る日々。
いっそ、全てが元に戻ればいいが、陽季のあの創傷痕を見る前の俺には戻れるわけもなく…。
享の恋愛は順調だったようだが、夏休みに入るか入らない頃、亨が高校生の頃、家庭教師をした縁で、ずっと可愛がっている嶺くんが、自殺未遂をしたとかで、入院し、かなり状態が悪いようで、享自身が心配のあまりだろうが、不安定になり、時間もそちらにかなり取られた。
俺は丁度いい、と享の仕事も殆ど引き受け、家には寝に帰るだけの生活になっていた。
1度、享からSOSの電話があり、仕事を切り上げて帰ると、高校の時に戻ったみたいな酷ぇ顔して、マンションの植え込みの所に座ってて、滅茶苦茶にしろときた。
享も、あと一つ、というところの壁を越えられず、苦しんでいるようだった。
渡りに舟だ、とベッドに放り投げて、ひん剥いたが、陽季を散々抱いて、乱暴な抱き方など忘れてしまった俺は、酷くしろ、正気でいさせるな、という享の要望に、陽季の薬を飲ませて…優しく抱いてやった。
そして、もっと…
もっと陽季が欲しくなった……
「何だったんだろうなぁ…」
「何で過去形なんですか?」
久々に桂を誘い、陽季と最初に出逢った《一会》に来た。
「過去だろうよ、だってよ」
「そうは見えませんが。章也さんは陽季さんに外で会いたいと仰ったんですか?」
「言えるかよ。向こうが拒否ってんのによ。お前、アホになったな、桂」
ふふ…と桂は肩を揺らして笑った。
「何笑ってんだ、この野郎。犯すぞコラ」
「ほんとに…あなたって人は。陽季さん以外にはそうなのに、何故あの方には憎まれ口の一つも仰らないんですかね…。病ですね、完全に。恋の病」
―恋の病…。ああ、そうだな……知ってるよ。
「……おい、桂。そこに座れ。正座」
「は?何ですか?」
桂は、胡座をかいていた脚を、畳んで正座した。
「膝枕」
「なッ…嫌ですよッ、そんな。私は陽季さんではありません」
桂はまた、胡座を組み直した。
―クソッ。陽季が俺を甘やかすから、甘たくて仕方ねーじゃねぇか。
どうしてくれんだ、陽季。
お前がこんな俺にしたんだろうが。
ここに来て俺を甘やかしやがれ、この野郎…。
〈陽季〉
出逢ったばかりの頃のように、章也はまた、ホールでコーヒーを飲んで帰るようになった。
毎日、毎日、ただコーヒーを飲んで、立ち上がり帰って行く…
「陽季様。お顔をお拭き下さいませ。篠原さまをお呼び致しましょう」
余計なことは一切言わない佐々木が、そっとハンカチを僕に渡し、口出しする程、僕はいつも章也を気にして、章也が来ると、じっとモニターを見つめ、佐々木曰くは、泣いているのだった。
さすがのターニーも、かける言葉がないようで、大人しくコーヒーを飲んで帰る。
守る、甘えてくれたらそれでいい、なんて言っていながら、結局幼い愛しか持てない僕は、たった2年とちょっとで、章也を愛する苦しさに負けた。
僕は逃げた…
自分がほとほと嫌になる。
長瀬と離れたあの部屋で、一人の章也を放っておくなんて…。
さみ様の日記もマリア様の絵も、鍵付きの箱に仕舞いこんでクロゼットの奥に押し込んだ。
夏が過ぎ、秋が来て、またクリスマスソングが街に流れ出した。
長瀬は去年から、何とか乗り越えられるようになった、と話していた。
僕は…まだダメだ……
今年は特別ダメで、《lune》にも飛び飛びで出勤していた。
11月もそろそろ終わり、という頃、その日も朝は起きられず、いつもよりは大分遅い午後1時頃に店に入ると、ちょうどスーツ姿の湊人くんを伴って、長瀬がランチに来たところだった。
「え?TS-houseでバイト?」
「はい。大学決まったら、義兄さんの会社でバイトさせてもらう約束してて、決まったもんで、今日から。週末土日のどちらかだけなんですけど」
2年前に1度来た時よりは身長がグンと伸びて、もう長瀬に追いつきそうな湊人くんは、今日はスーツ姿で、長瀬の立派なパートナー、という感じだ。
あの時、普段と違う意地悪で冷酷な長瀬の仕打ちに、涙を零した大きな目を細めて嬉しそうに言う。
「そうなんだ…」
居合わせた代議士達に、湊人くんを紹介しながら心ここに在らず…
―章也は…大丈夫なのだろうか?
「でも、仕事は目が回るくらいんなことしなきゃだし、閻魔大王が睨んでるし」
湊人くんが唇を尖らせる。
「おい、湊人。章也はああ見えて、お前をちゃんと幹部候補として見てるんだ。だから厳しい。ちゃんと言うこと聞けよ?」
「解ってるんだけど。でも怖すぎる…って言うか、機嫌悪いの?って思う」
「機嫌が悪いわけじゃない。俺がデレてる分、締めてくれてんだ…関兼?どうした?顔色悪いぞ?」
長瀬が2人の前で固まる僕に気付いて心配そうな顔をする。
「あ、ごめん…ッ。いや、ちょっとさ、風邪…ひいちゃって…。ごめん、ちょっとボーッとしちゃった」
「無理すんなよ?」
「長瀬は…大丈夫なんだね。良かった」
「ああ…。まあ、何とか…な」
長瀬はそう言うと、眩しそうに、横でクラブハウスサンドを頬張る湊人くんを見つめた。
2人が帰ると僕は、スタッフルームに飛び込んだ。
―章也…2人の仲が見える場所で働くなんて…可哀想に……
そう思うと、居てもたってもいられなくなって、スマホを掴んで章也のナンバーを出した。
『はい』
「…ッ…僕、だけど…あの」
―低く響く、愛しい声に涙が溢れる。
『陽季?』
―優しい…優しい声…
「…あの、さっき…長瀬と……湊人くんが、来て…」
『ああ、湊人がな、今、バイトに来てんだ、うちに』
「大…丈夫?」
『…なんだ、心配してくれんのか?』
「…だって…そりゃ・・」
『大丈夫じゃない。何とかしてくれ』
「……」
『陽季、何とかしてくれ』
「章也…」
『あの部屋にいてくれ、今日。飲みで、遅くなるが』
「…解った」
―章也に……会える
嬉しくて。
でも、不安で……
会えばまた、章也を守ることなど出来ない自分を思い知るのではないだろうか……
頭は迷うふりをするが、心は正直で、僕はグロッサリーに寄って章也の好きなつまみを買い、急いで代官山の部屋に帰った。
そして、思いつく限りの掃除をして、章也の好きな香りで満たすように、洗濯物もないのに、柔軟剤を洗濯機にセットして、洗濯機を回した。
洗濯をすると、いつも何故か玄関に柔軟剤の香りがして、玄関を入って来る章也が
「お~、いい香り!アロマー」
と喜ぶのだ。
遅くなると言われているのに、早々にシャワーを浴びて
「陽季には白が1番似合うな」
と言ってくれたことを思い出し、白のゆったりしたコットンシャツに白のジョガーパンツ、レモンイエローのカーディガンを着て、お気に入りの映画を観ながら待った。
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