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春  3

** 慌てて戻り、事務所で雑務をこなしているうちに暇ができた。休憩を兼ねて自販機で買ったコーヒーを飲みつつ、リョウはもらった名刺をしげしげと眺めた。 (WINGS……知らんな) 印刷されたQRコードをスマホで読み取ってみると、立派なホームページが表示される。何気なくその中身をスクロールしてみる。ディスコグラフィ、リリース情報、プロモーション動画。どれもこれも本格的で、ラストには所属事務所のCMバナーまで付いている。てっきりインディーズの子ども遊びだと思っていたリョウは、びっくりして思わずスマホを両手で握りしめた。 (え……何、こいつらメジャーデビューしてるし、CDめっちゃ出てるし……は? ファーストアルバム、オリコン上位入ってるとか。すげえ奴らやん。俺が流行モン知らんかっただけか。うわ、失礼な事言わんかったかな) 東京の、ましてや若者の流行りもんはもうわからん。思わずぼやいたその独り言は、しっかり社内の数名に聞かれていた模様だ。 「ショックや……急にオッサン臭なった気がする……」 「何言ってんスか、椚田さん。オッサンに違いないでしょ三十代」 「オッサンちゃうわ!」 仲間とどうでもいい雑談を交わしながらスマホをポケットにしまい込み、リョウは再び自分のデスクに戻った。 ** そよ風が快適な空気を連れてきてくれるので、こんなに高層ビルが立ち並んでいても息苦しさを感じない。すぐ傍に川が流れ、小鳥が時折さえずりを聴かせてくれる。同じ都会なのに、東京の渋谷や新宿とはまた少し違うなと思いながら、勝行は終わらない光のピアノ演奏に耳を傾けて休憩していた。 新幹線で新大阪に着いたあと、明日のライブ会場を確認し、ぶらぶらと歩きながら練習できそうなストリートを探してたどり着いた公園だった。スマホの地図上で見たところ河川敷かと思ったものの、想像とは違い周りは高速道路や高層ビルが立ち並ぶビジネス街。昼間だというのに、人通りは閑散としていた。 「楽しそうだね、光」 早くピアノが弾きたい、とごねていた光は、この公園に来てからずっとキーボードから指を離さない。小鳥と一緒になって優しい調べを奏でていれば、どこから来たのか野良猫ものそりと近づいてくる。どこでコンサートしても誰かが聴きに来る不思議な光景に、勝行はうっとり見惚れていた。 「大阪に来たらたこ焼き食べたいって言ってなかったっけ」 「……♪」 「近くに売ってるかなあ」 「……♪」 ベンチの上でしばしスマホを睨みつけ、情報検索しながら勝行はため息をついた。一応光に話しかけているつもりだが、なんの返答もないのでただの独り言になっている。 「お腹空いたんだよな。なんでもいいから、買ってくるか」 公園の入り口には、黒スーツに身を包んだガタイのいい男、片岡荘介がいる。彼は東京から二人についてきた専属ガードマンであり、勝行の部下でもある。 「片岡さん、ちょっと買い物行ってくるので光のこと頼んでいいですか」 「あ、よろしければ私が買ってきますが」 サングラスを外し、笑顔で答えながら片岡は勝行の行く手を遮る。だがそれより何百倍もキラキラ輝いた王子様スマイルを浮かべ、丁重に断った。 「いいんです。俺もちょっとぶらっと歩いてみたくて。いいお店見つけられなかったらコンビニで済ませてすぐ戻りますから。光を頼みます」 「承知いたしました。お気をつけて」 「何かあったらすぐ連絡する」 勝行は足取り軽く、ビル通りの先へと抜けていった。 ** 「もしかして、WINGSのカツユキやない?」 「大阪にきてんの? ウッソーなんでなん?」 ビル街の散策中、突如そんな黄色い声に囲まれる。しまったと思いながら笑顔で切り抜けようとした途端、積極的に握手やサインを求められて身動きがとれない。 「すみません、マジックとか持ってないんで」 「大丈夫、そこのコンビニで買ってくるから待っててや」 「その間に握手してぇ」 「写真とろうよ」 眼鏡のひとつでもつけて変装するべきだったかなと思いつつ、自分の知名度がそれなりに上がったことを有難く感じた勝行は、真摯に向き合い応対することにした。 「いいですよ」 「キャー! カツユキやっさしい!」 「よかったら明日、梅田でリリイベあるんで来てください。サイン会もやりますよ」 「マジ!? 行く行くぅ!」 今回の大阪遠征は新曲引っ提げてのストアライブが目的だったので、ちゃっかり宣伝もしておくことにする。 「チケットいるやつ?」 「フリー観覧なんで、入場制限かからなければ大丈夫。でも事前にCD買って優先券持っててもらえると確実かな」 「へっへ、私もうCD買ってっしー! 明日のイベント行くで!」 「私もいくぅ」 「えっ、うれしいな。ありがとうございます」 そのキラエフェクト全開王子スマイルをまともに食らい、ぎゃあああと騒ぎ立てる女の子が現れ、瞬く間に勝行の周りは人だかりでいっぱいになった。そばにコンビニがあったせいだろうか。通行人が明らかに群れを成し、もはや勝行のことを知らない人間までもが「芸能人か、なんや番組撮影か」と寄ってくる始末だ。 ――東京ではここまでならないんだけどな……と苦笑しつつ、勝行は慎重に逃亡ルートを模索していた。 (たこ焼き、買いに行けるかな……)

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