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春 4
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残業なしで帰れる夕方なんて久しぶりだ。すっかり日が長くなり、まだ明るい外を歩きながら、リョウはもう一度あの公園に立ち寄ってみた。いくらなんでももういないだろう。そう思って通りすがったのに、未だ電子キーボードの音が聴こえてくる。
(まだやっとったんか)
練習熱心だなと思い、思わず手前の自販機で缶コーヒーを三本買う。公園に入るとさっき座っていたベンチに腰掛け、ふうと息を吐いた。だが目の前には、歌い手の黒髪青年はいなかった。
一人きり、いつまでも楽し気にキーボードを弾き鳴らす金髪青年。その足元には野良猫が数匹座り込み、一番の特等席をゲットしている。それを知ってか知らずか、ピアニストは空気を撫でるように優し気な音楽を奏で、観客の快眠を誘導しているようだった。これはハードスケジュールをこなしてきた自分ですら、思わず寝入ってしまいそうな心地よさだ。
(あの見た目からは想像もつかん音やなあ。えーっとあの子の名前は確か……ヒカル、だっけ?)
公式サイトを見た時も思ったが、容姿だけを見ていたら、バンドマンというより某有名事務所の美少年アイドルと言われた方がしっくりくるレベルだ。コーヒーを飲みつつその端正な顔を眺めていたら、偶然視線を上げたヒカルと目がばっちり合った。彼は驚いたような表情を見せ、慌てて辺りを見渡す。だが誰もいないことに気づいたのか、ピアノ演奏の手を止めて困ったように項垂れた。
どうやら他人とコミュニケーションをとるのが苦手らしい。知人にどこか似ている気がして、リョウは肩を震わせて笑った。
「悪いな。まだ演奏しとったからもっかい聴きに来てん。一人なん?」
「……」
「コーヒー買ってきてんけど、いらんか? 差し入れ」
「……」
「大丈夫やって、毒なんか入れてへん」
近づきながら未開封の缶コーヒーを手渡すと、足元の猫が起きて逃げ出した。邪魔して悪かったなと笑い、リョウは社名の入った自分の名刺も差し出す。
「変質者思われたら困るからな。クヌギダリョウジ、よろしくな。そこのビル街で仕事してんねん。君のピアノ聴こえてきたからつい寄り道してもうたわ」
「……あんた、暇人? 仕事せんでええの?」
お?
眉間にしわを寄せ、不審そうに投げかけてきたその言葉にリョウは首を傾げた。
黒髪の青年は明らか東京の人間だとわかる話し方だったのに、この男は――。
「自分、大阪出身?」
「……ちがう。母さんは京都」
「ああ、そう。でもやっぱ関西の子か。なんや、声初めて聴いたわ、ちゃんとしゃべれるやん」
「うっ……うっせえ」
慌ててそっぽを向くヒカルが可愛くて思わず笑ってしまう。一回りほどは年下に見える金髪ピアニストは間近で見れば見るほどモデル並みに綺麗な顔立ちをしていた。片耳にシルバーのカフスピアス。前髪にグリーンのメッシュ。会社員では絶対できないような自由奔放なスタイル。そのくせ身長はリョウよりも高くて細い。これはまあ、見た目で売れるわと確信できる。
「昼に聴かせてもらった曲な。あれほんま気に入ったんやけど、CD買える?」
「……あぁ……うん……多分」
「多分て何や。俺な、遠距離恋愛の恋人がおるんやけど、もう俺の心の中まるごと歌われたみたいな気分になってな。すごい刺さったんや」
「遠距離……恋愛……?」
その言葉に何か感じたのだろうか。そっぽを向いていたはずのヒカルは、気づけばリョウを食い入るように見つめてきた。そんな綺麗な目で見つめられたら、お兄さんドキドキするわ、と冗談めいた言葉を零しながら、リョウはもう一度缶コーヒーを呷った。
「まあ、休憩がてらにコレ飲みながら話さへん?」
渡された缶を持ったままだった彼は、頷くとプルトップを引き開け同じようにコーヒーを喉に流し込んだ。それから眉間に皺を寄せて、「これ苦いやん」と苦言を零した。それがまた妙に絵面に合わなくて、リョウは笑った。
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