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春 5
ヒカルこと今西光は、黒髪のボーカル・勝行とは明らか違って、ぶっきらぼうで営業もしないし会話もそっけない。けれど違和感のない関西弁が整った美少年の顔から飛び出てくるのが妙に面白い。おまけに何が楽しいのか、リョウの恋愛事情をやたらと聞きたがった。まあ、これぐらいの年頃は他人の恋バナに興味深々なのだろう。リョウも聴かせてもらった音楽があまりにも心地よかったせいだろうか。気づけばついプライベートな事まで話し込み過ぎていた。
光は両手で缶コーヒーを握りしめ、ベンチに膝立てて座り込んだ姿勢でずっとリョウの話し声を聴いていた。それはまるで音楽鑑賞でもしているかのように、ぼんやり視線を空に向けて。
「俺のパートナーは仕事の出来る有能なホテルマンでな、関東に住んでっから、滅多に会えないんよ。お互い仕事の時間も内容もバラバラで忙しいし、とりあえず金貯めて交通費工面して、たまに会いに行くんや」
「けど、ほんまはしんどいなって思った時に、傍にいて欲しいなって思うこともあるねん。恥ずかしい話やけど、仕事が激務続きで心身荒んでる時とかな。今日はまさにその一歩手前やったなぁ。君らの歌聴いて不覚にも泣きそうになったわ……」
「そいつ、男?」
饒舌なリョウの話を黙って聞いていた光は、ふいに振り返り、口を開いた。
「え」
「好きな人。違うん?」
「……ぁ、いや……まあ……」
同性愛者だとカミングアウトした覚えもないし、そうとはわからないように語っていたはずなのに。瞬時にして見破った彼の洞察力に瞠目する。だが光は、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに再び空を見上げた。
「遠距離恋愛って大変やん。どんなに会いたいって思っても、物理的に手が届かないのに……なんでそんな相手好きになるん」
「なんでって言われても」
「なんで……?」
独り言のように呟くと、光は空に掲げた自分の手を見つめた。その横顔があまりに寂しそうで、リョウは思わず身を乗り出した。
「あんなあ、恋するのに距離なんか関係あらへん。好きになった人がたまたま遠くに住んでるってだけで。それはしゃあないことや。今はほら、スマホのおかげで連絡とったり声聴いたりするんは昔より簡単やし――でも、だからほんまはずっと傍にいたいけど、うまく叶わないジレンマがしんどくて、時々弱音も吐いてしまうっていうか……んんっ、俺は何を言うてんや!」
勢いで吐き出した言葉が妙に稚拙で恥ずかしくなったリョウは、がしがしと頭を掻きむしった。
光は不思議そうにその姿を見つめ、変なのと静かに笑う。
『この曲、こいつが作ったんです』
ふいに思い出したボーカル青年の言葉を思い出し、リョウは光に視線を戻した。
「そういう君も、遠距離恋愛してるんやないの」
「俺が? 別に……」
「傍にいて欲しいけど、手の届かないところに居る人に向けて、あの歌作ったんやないの。逢いたいけど逢えない人。おるんやろ」
「……」
若くしてこんな切ない言葉と音楽を紡ぎ出したその理由こそ知りたいと思った。彼の経験談から生まれた名作なのか、彼自身が天賦の才能を与えられた天才なのか。けれどその質問は、一番の地雷だったかもしれないと、後々後悔することになる。
光は無言で空を見上げたまま、ぽつりと答えた。
「おる」
「そっかそっか。そいつはどこに住んでんの?」
「……刑務所」
「……」
「あと、天国」
「……え……」
その瞬間、不自然に風が吹き抜けた。リョウの腕に冷たい缶コーヒーの結露が飛んできた気がする。目の前にある柔らかい金色の髪も、寂しげに揺れていた。
「あの、何か御用ですか」
ふいに思いもよらないところから声をかけられ、リョウは驚いて振り返った。そこには昼間笑顔で名刺をくれたボーカルの黒髪青年が立っている。逆光で表情はよく見えないが、少なくとも別れ際に見た温和な空気とは違う、ピリッと張り詰めた何かを感じて、リョウは一瞬たじろいだ。代わりに大人しかった隣が遠慮なく声をあげる。
「勝行、お帰り」
「ただいま。何もなかった? 大丈夫?」
「なんもねーよ、心配するんなら一人で勝手に出かけんな。片岡のオッサンがお前のことばっか気にしてて超ウザかった。だからお前探しに行かせた」
「ああそっか、ごめんね一人にさせてしまって」
リョウを放置して二人の会話は弾む。さっきまでの鬱然とした空気がすっかり消えた光の表情には、楽し気な笑みが浮かんでいた。
「で、そのコーヒーはどうしたの」
「もらった。このオッチャンに」
「オッチャ……おい俺は! まだ若いんやで!」
「そうなん?」
まったく悪びれない光の横で、黒髪の青年こと相羽勝行が懇切丁寧にお辞儀をしながら財布を取りだした。
「すみません飲み物勝手に頂いてしまって。お代お支払いします」
「い、いやいやそれは俺のおごりや気にすんなって」
「おごり……? そういうわけには」
「これ君の分も買ったつもりやし! 元々差し入れるつもりで買ったんやしもらっとけ! ファンの善意や」
慌ててもう一本の未開封缶を勝行に押し付けると、その言葉に驚きつつもやっと勝行も笑顔を見せた。
「そうなんですか? ありがとうございます、では遠慮なく頂きます」
「お、おうもらっとけ」
「それ結構苦かった」
「深煎り微糖……こんな濃いコーヒー飲めたの? いつもカフェオレなのに」
「飲んだぞ。俺だってもう高校生じゃねーし、苦くても飲めるし」
「へえ、そうなんだ。進化したな十八歳」
「当然だろ」
半分中身を残した缶コーヒーを手にしたまま、光はドヤ顔で語る。だが一口飲んですごい渋い顔をしていたことを思い出し、リョウは思わずぶはっと噴き出してしまった。なんだかんだ言って彼はやっぱり子どもだ。かわいいが過ぎる。
「無理して飲まなくてええんやで? 苦手とか知らんかったし」
「別に苦手じゃねーし」
「よう言うわ、すんごい顔して『にがっ』っていちいち言ってたくせに」
「うっせーな感想くらい呟いたってええやろ」
「いやあ気が利かんで悪かったわ。お子様には『みっくちゅじゅーしゅ』か『メロンソーダ』の方がよかったかなあ」
「子どもじゃねー!」
釣られてまた関西弁が混じる光とリョウの下らないやりとりは、どことなく初めて会った人間とは思えないほどに打ち解けている気がした。さっき聞いたことはやっぱりまずかった、忘れよう。そう思いながら、リョウは光の柔らかい髪を犬のように撫でまわしてやった。
そんなリョウと光の間を遮るようにして、勝行はそうだ、と会話のチャンネルを変えてくる。
「ごめん。たこ焼き、買えなかった」
「ん? あ、ああ……別にいいよ。探せば駅にでもあるだろ」
「そうか駅か。なんか、大阪だったらどこにでも売ってる気がしてた。そのへん探してみたけどなんにもなくてさ」
急に変わった会話の内容が地元民のリョウには聞き捨てならない内容すぎて、一度シャットアウトされた会話の流れを更にぶった切って介入した。
「なんや自分ら、遠路はるばるたこ焼き食いに来たんか?」
「え、いやそういうわけでは……。でも折角の大阪遠征だから、食べて帰りたいなって話してて」
「ヒカルくんはたこ焼き好きなんか。こだわりあるんか」
「おう、まあ別に粉もん食えたらなんでもいいけど」
「あっかーん!」
がばりと立ち上がり、衝撃で社員証が胸ポケットから飛び出した。が、そんなことは一切気にせず、リョウは二人の肩をがっちりホールドする。
「ええか。俺が最っ高の老舗教えたる。大阪来たからには絶対ここで食え、わかったな?」
その凄みたるや否や。子どもたちは思わず「……はい」と敬語で返事した。
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