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第2話 兄のように慕う人
送迎サービス「こどもたくしー」はその名のとおり、主に未成年の利用者を保護者から預かり、目的地まで送り届けることを業務としている。定期利用の目的は、保育園、幼稚園の送迎や塾、習い事、学童保育への送迎が多い。
スポット利用の事情はさまざまだ。親の急病により、子供を祖父母の家まで送り届けたこともあれば、山奥までキャンプの送迎を請け負ったこともある。
ユートこと朝倉優人は、十人乗りのワゴン車の運転席に座っていた。助手席には、この「こどもたくしー」を立ち上げた内藤穂積が座っている。「こどもたくしー」の代表取締役だが、まだまだ小さな事業所だ。彼も他の従業員と同様に現場で働く。
穂積は、優人と同じく社名の入った赤いTシャツを着ていた。芯のあるまっすぐな黒髪に色白のうりざね顔。和服の似合いそうな涼しげな顔だちだ。
穂積はもともと、優人と同じ店でゲイ相手のウリ専をやっていた仲間だった。優人の一つ年上で、売り上げはつねにトップクラス。ユートとホヅミ、ふたりは兄弟のように仲がよかった。彼がウリ専をやめてこの会社を立ち上げたとき、優人も誘ってくれた。彼の励ましのおかげで二種免許をとる決心もできた。
助手席の前のダッシュボードには、A4サイズのクリップボードが載っている。そこには今日一日の仕事のスケジュールと、送迎する子供たちの情報がはさまれていた。
冷房の吹き出し口の前には、さっきコンビニで買ったアイスコーヒーが二つ入っている。中身が半分ほどに減ったプラスチックのカップは、びっしりと水の粒をつけていた。夕方から忙しくなる前の休憩時間だ。
このあとは、学童保育で過ごしている子供たち八名をスイミングスクールまで送ることになっている。親が働いている間、さまざまな習い事に通えることを特色としている民間の学童保育からの依頼だ。スイミングのお迎えまでのあいだに、都内のマンションから進学塾への送迎を二件こなすことになっている。
優人はズボンのポケットから、昼間もらった名刺をとりだした。
「なにそれ。ナンパ?」
穂積がちらりと見た。優人は今日昼食のために立ち寄った店で相席した、クソまじめなサラリーマンのことを思い出してほんの少し口角をあげた。
「うーん。よくわかんないけど、俺のことをハゲタカから守ってくれるらしいよ」
白馬の騎士にでもなったつもりなのだろうか。やたら気負いこんでいる様子が少々滑稽だった。しかし回想する優人は、なぜか悪い気はしなかった。
「俺が昔、ウリ専だったこと知ってて話しかけてきたんだよ」
途端に穂積の顔が険しくなった。
「捨てろ。そんなやつとはもう関わるな」
「でもいい人っぽかったし」
竹林誠一郎、名刺の文字を読む。優人は、いつのまにかあのサラリーマンをかばう気持ちになっていた。その一方で、穂積の懸念も痛いほどわかる。
「ほんとにいい人なら、黙って会わなかったことにしてくれる。話しかけたりしない」
「でも俺が、口止めのかわりにちんこしゃぶってやるっていったのに、ついてこなかった」
「優人」
穂積の声がとがる。優人は上目使いに横にいる穂積の顔を見る。
「穂積、怒ってる?」
「当たり前だろ。フーゾク関係の人間と親しくなればタダで性欲処理してもらえる、なんてアホなこと考える人間が世の中にはいくらでもいるんだ。安売りしてたら、いくらでもたかられるぞ」
優人はひらきなおったように笑った。
「べつにい。俺だって、相手で性欲処理できるからWinWinだけど」
「優人」
ため息まじりの穂積の声は、かんべんしてくれ、と言いたげだ。
優人は相手にこだわりがない。度を超して痛めつけられさえしなければ、セックスの相手など誰でもいい。むしろ、ひとりに依存してしまうことのほうが恐い。自分の性欲と独占欲が人一倍強いことを自覚しているからだ。
優人は、うしろめたい気持ちで、いらだっている穂積の横顔を盗み見た。自分のために本気で怒ってくれるのは、昔から彼だけだ。
それが少し嬉しくもあり、心苦しくもある。
穂積と優人のあいだに肉体関係はない。優人がどう思おうと、穂積は自分を弟のようにしかみてくれないことも知っている。穂積には、別に想い人がいるのだ。
穂積がいつかその人と暮らすとき、自分は一番近くにいて心からの笑顔で祝福する。優人はそう自分に誓っている。
だから必要以上に穂積に甘えてはいけないと自戒している。いましめてはいるけれど、彼にしかまだ本音で話すことができない。そういう自分のふがいなさを、ひどくもどかしく思うことがある。いくつ年をとっても、うまく生きていくことは難しい。
「そいつね、昔、俺を買ったっていうんだけど、たぶん最後までヤってないと思う」
ひくり、と穂積が眉を動かした。
「覚えてんのか」
「反対。顔みても、ちんこのかたち思い出せなかったからね」
頭痛がしてきた、といいたげに穂積が人差し指と親指で眉間をつまんだ。
「……じゃ、普段は顔見たら思い出すのか」
「思い出すよ。そういうことに関しては俺の記憶力すげーもん。俺ね、きっと昔の客やセフレで、『ききちんこ』できると思う。目隠ししてても誰のかあてられる」
「は? どんなシュールな企画モノだよ」
得意げにいう優人の腕を指でこづいて、穂積があきれかえったように笑いだした。その笑顔を見て、優人も少しほっとする。友人としての距離感を間違えていない、という気がする。
「穂積、この名刺とっといていい?」
顔色をうかがいつつたずねると、穂積はまだ苦笑していた。
「わかった。好きにしろ」
そしてすぐに、ぞっとするような低い声でつけ足した。
「ただし、隙を見せるなよ。そいつが優人を不幸にしたら、俺がおとしまえつけさせてやるからな」
うっかりすると、おもりをつけて東京湾に沈められてしまいそうな声色だった。
ウリ専時代も、他のボーイたちの嫉妬から優人を守ってくれたのは穂積だった。穂積は頭が良い。要領も頭も悪くて、セックスだけが取り柄の自分とは違う。みんなが一目置くリーダーシップがある。
穂積を頼りたい。でも、頼ってはいけない。これ以上負担になりたくない。俺はひとりでも平気。
優人は自分で自分に言いきかせる。
穂積の代わりなんて必要ない。贅沢をいわなければ、セックスの相手にだってことかかない。それでも、たまにどうしようもなくわびしい気持ちになる夜はある。
でも、俺はウサギじゃないし、べつにそれで死ぬわけじゃない。
なにかに祈るように、優人は誠一郎の名刺を財布にしまった。この行き場のないこの気持ちがいつか変わっていくことを、無意識に願いながら。
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