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第4話 オトモダチからはじめましょう2

 私鉄の各駅停車で二駅。住宅街の中を十分ほど歩くと年代物のアパートが見えてきた。こじんまりとした三階建てで、間取りから単身者が多いのか、道路に面したベランダには少量の洗濯物が夜間も干しっぱなしになっていた。 「ちっさいんですけど、一応、鉄筋コンクリートなんでこれでもマンションらしいですよ」  苦笑しながら、誠一郎が案内する。  移動の間に、優人は誠一郎の仕事の話をきいていた。誠一郎のつとめる会社は、オフィス機器のリース会社だ。親会社は誰でもきいたことのあるオフィス機材の大手メーカーで、そのリース部門を受け持つ子会社ということだった。 「大口の取引は営業一課の仕事で、僕のいる二課はもっぱら小口取引です。小さな町工場や工務店の事務所に、ファックスとコピーとプリンターの複合機なんかを置かせてもらってます。高価な新型機を買うと、それが会社の財産として評価されるので税金にもひびくわけです。でもリース機器ならその心配がないし、中古として市場価値のさがったところで、買い取ってもらう方法もありますし。売ることが目的の販売営業とは違って、メンテナンスしながら、客先への買い取りや新型機への借り換えのご相談なんかもしながらの、長いおつきあいになることが多いです」  優人は、はじめに彼が営業職ときいたときは意外だった。誠一郎は、口がうまくて売り込みにたけている印象がなかったからだ。しかしそういうことなら、誠一郎の真面目で人のよさそうな人柄に合っている気がした。 「三十秒だけ待っててもらえますか?」  玄関のドアをあけると、誠一郎は優人を振り返っていった。 「三十秒たったら、入っていいの?」  こくり、と神妙な顔でうなずく。いーち、にーい、と優人が数え始めると、おおいそぎで誠一郎はドアの内側に消えた。  ばたばたと廊下をかける音と、押入のふすまを開閉する音がする。  そんなビビらなくても、エロ本やエロビデオくらいあったところで、変な顔なんかしないって。男同士じゃん、と優人は考え、そして複雑な気持ちになった。ゲイの自分と友人としてつきあうのが、誠一郎にとってどういうことなのか、実際にはよくわかっていないことに気がついた。 「さーんじゅ。竹林くん、入るよー」 「ど、どうぞー」  鉄製の重いドアをあけると、きいていたとおりの狭い廊下だった。その先には洗面所と風呂とトイレが一体化したユニットバスがある。脱衣所はほぼ洗濯機でいっぱいになっていた。  つきあたりが八畳のリビングで、出窓の前にソファを置くようにシングルベッドが置いてあった。ベッドの前には折り畳み式の小さなローテーブル。反対側の壁にはテレビ台と十二型のテレビがある。とすると、やっぱりベッドをソファかわりに使っているのだろう。  誠一郎は奥のキッチンにいた。つきあたりに二口のコンロ、ステンレスのシンク台が見えた。その横では冷蔵庫と電子レンジ、炊飯器が壁面にパズルをはめたようにぴったりとおさまっている。 「飯は炊けてるんで。味噌汁はインスタントでいいですか? あと、ユートさん、食べられない食材ってあります?」 「え、あ、今から作る気なの?」  優人は目を丸くした。  誠一郎は長身をかがめて、青白い光の漏れてくる冷蔵庫をのぞきこんでいる。 「肉と野菜焼くだけですよ。あとはあるもので」 「すげえ、自炊してんの?」 「ああ、まあ。……味噌付けにして冷凍しといた肩ロースがあるんで、これ焼いて。あとは昨日ゆでた枝豆と、ナスの焼きびたしでいいですかね」  少し照れたようにいうと、鼻歌をうたいながらフライパンをあたため始めた。  優人はキッチンから視線をはなし、あたりをみまわした。三十秒のあいだに、なにを片づけたのかはわからない。ベランダにつながっているらしい掃き出し窓のカーテンレールには、白いワイシャツとランニングが二枚ほどかかっていた。  手持ちぶさたで、きょろきょろしていると、ベッドの奥の出窓にCDコンポと、小さな丸いサボテンがならべられているのが目に入った。 「サボテン、好きなの?」  キッチンから声がかえってくる。 「潤いのある生活には憧れるんですけどねえ。仕事やなんやかんやで、今まで観葉植物いっぱい枯らしちゃったんです。生き残ったのがこの子たちってだけで。まん丸いサボテンは体表面がもっとも少ないので、一番過酷な場所に耐えられるサボテンらしいですよ」  そう言われると、化粧砂のなかにはまった、まるっこい緑の集団がとてもけなげなもののように見えてきた。 「サボテンて『緑の賢者』とも言うらしくて。そういわれると、一生懸命なにか考えているっぽくて可愛いですよね」  そんなことをいう誠一郎が可愛い、と優人は思う、が口には出せない。きっと優人がからかっていると思うだろう。  誠一郎は、上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をまくった姿でコンロにむかっている。狭い空間で立ち働く彼の頭のすぐ横で、換気扇がまわっていた。  ほどなくして、甘口の味噌と豚肉の脂が焦げる、なんとも香ばしい香りがただよってきた。  小さなローテーブルの上に、こんがりときれいな焼き目のついた豚肉の皿が載った。透明な肉汁とそこに浮かぶ脂が、蛍光灯のあかりでつやつや光っている。  薄切りにしたナスに焼き目をつけてポン酢をかけた一品もあった。てっぺんに針生姜がのっていた。味噌汁の具はあさりだった。  優人はうっとりと見入った。 「うまそ」 「いつもはひとりなんで、今日は食べてくれる人がいて嬉しいです」  誠一郎はいそいそと、箸とご飯をもった茶碗をはこんでくる。優人のとなりに腰をおろして、テレビをつけた。バラエティ番組中心のゴールデンタイムはとうに過ぎて、今は報道番組が流れていた。しかしふたりはほとんど画面を見ずに食事に専念した。 「いつもひとりって、彼女とかいないの?」 「ああ、あれからできないですねえ」  恥ずかしそうに、箸をもったまま誠一郎が笑う。 「あれから?」 「前にユートさんを指名したとき、あれって、前の彼女にふられたときなんですよ」  優人はちょっと記憶をたぐった。 「それって、かなり前じゃねえ?」 「七年前ですかねえ。僕、大学生だったんで」  優人は目を丸くした。 「七年……? そんなに彼女いねえの?」  誠一郎はさらに鼻白むような顔になった。 「社会人になったら、毎日仕事で精一杯で。それに会社の女の子は、別れちゃったら仕事しにくいんで、そういう仲になりたくないんですよ。同僚とも、仕事上の連携があるから、なんだかんだ気をつかってつきあってるんですよね。家へ呼んで一緒に飯食うような友達っていないんです」 「もったいねえなあ。こんなうまいのに」 「あ、これ。ねり梅です。うちの母親が田舎から送ってくるんですけど、よかったら。けっこういけますよ」  話題を変えるように、赤いペーストの入った瓶をさしだしてきた。赤しそにかつおぶし、白ごまがまざっているのが見えた。 「田舎、どこ?」 「山梨です。これ、うちの親が梅から漬けてるんですよ」  誠一郎はにこにこと語る。優人は瓶をうけとった。わざわざ送ってくるということは誠一郎の好物なのだろうか。  優人は、反射的に高校生のときに家出したきりの実家のことを考えた。母はあれからどうしただろう。今も自分を捜しているだろうか。  とうにふさがったはずの古傷が、ずくりとうずいた。自分が同性愛者に生まれついたばっかりに、母にはつらい思いをさせたと思う。 「酸っぱいですか?」  心配そうにたずねる誠一郎の声に、優人は我に返り、とりつくろうようにしゃべりだした。 「料理も、お母さんにおそわったの?」 「いえ、これは、こっちで。僕じつは、料理教室通ったんですよ」  優人はすっとんきょうな声をあげた。 「料理教室! 男で?」 「いや、男性用のコースもあったんですよ。ちょっと前にはやったじゃないですか。駅前のデパートの中なんかにある、チケット制の料理教室ですよ」  優人もみかけたことはある。最新機器をそろえた、おしゃれなオープンキッチンだった。 「あれって、講師も生徒も女ばっかりだろ、なんでまた……」 「職場の事務の女性社員にはやったんですよね。あれって友人を紹介すると、チケット代がすごく安くなるとかで、ちょっとマルチっぽい一面があるんですよ。で、お局さまが、若い子を誘う。先輩にはさからえないから、仕方なくついていってその子も契約する。その子がまた後輩を誘うって……連鎖していって。一番最後は、会社に入って間もない契約社員の子ですよ。まだ仲のいい人もいないし、みんなより収入も少ないってわかっているはずなのに」  誠一郎は眉を下げて、ため息をついた。 「それ見てたらおもわず言っちゃったんですよね。『だったら、僕を紹介してよ』って。いや、彼女もすごく驚いてましたけどね」  あたりまえのように言って、誠一郎は苦笑した。 「まじで」 「だって、嫌じゃないですか。立場の弱い人がわりをくってるのを、見て見ぬふりするって。かわってあげたいなあって思ったんで」  優人はじっと誠一郎の顔をみた。きりりとつり上がり気味の眉は意志が強く実直そうだが、その下の目は少しタレ目でやさしい印象だ。前髪を後ろに流していて、むきだしの額には知的な雰囲気もある。  自分で自分を語るときは、きまりわるそうな顔ですぐ落ち着かなくなる。天然で、世間知らずで人見知り。それでいて、本当はすごくまわりの人を観察しているのかもしれない。繊細な心で周囲の人たちの調和をはかっているのかもしれない。  こいつは、思ったより苦労人かもしれないなあ。  かすかな尊敬をはらんだ気持ちで優人は目の前の青年をみつめた。 「でも実際行ってみたら、けっこうおもしろかったです。こうして役にたってますし」  優人の心中を知ってか知らずか、誠一郎はさばさばとした態度で続ける。 「男性コースは、定年退職したおじいちゃんや早期退社したおじさんがほとんどでした。なかなか風格のあるエプロン姿でしたよ。で、みんな料理はしたいけど、ゲテモノは苦手なんですよ。イワシの内臓とるのとか、イカのワタと墨袋出すのとか、『ここは若い人の出番だ』とかなんとかいって、ぜーんぶ僕がやらされましたからね」  思い出したように、くすくす笑った。リラックスした笑顔だった。 「今日は、ユートさんに食べてもらえてよかったです。おもてなしっていうほどたいしたものじゃないですけど……でも、僕はずっと……あなたにもう一度会いたかったのかもしれません」

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