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第5話 オトモダチからはじめましょう3

 誠一郎は、ななめむかいの席から優人の顔をみつめて、幸福感にひたるように言いはなち、一秒後にそのまま固った。急に赤い顔になってしてそわそわと、席を立つ。 「あ、お酒、買ってきましょうか。ビール、なにがお好きですか? 僕全然飲まないんで、買い置きとかなくって」 「いいよ。俺も飲まないから」  誠一郎は、優人の顔をおそるおそる見る。まるでいたずらをしでかしてしまった犬が、飼い主のご機嫌をうかがうような顔だ。俺なんかにビビらなくていいのに、と優人は内心苦笑する。 「アルコール、苦手なんですか」 「うん、弱いし。昔酒ですげえ失敗したから、もうやめてる。竹林くんはさ、ノンケなんでしょ。なんで俺を買おうなんて思いついたの?」  誠一郎は一度うかしかけた腰をまた、床のクッションの上にもどした。 「あのときは、高校時代から四年間つきあった彼女ふられた直後だったんです。僕のほうは彼女になんの不満もなくて、このままお互い社会人になって、数年後に結婚するところまで、未来予想図が見えてたんですけど……それは全部ひとりよがりだったみたいで」  はは、とさびしげに笑った。 「なんで別れちゃったの」 「浮気されてました。しかもそれを、彼女のほうから告白されたんです。気がつかなかった自分にもショックでした。彼女は『もう別れてほしい』って。これからは新しい人とやっていくからって」  優人は眉を寄せた。 「ひでえな。寝取られたってことだろ」 「いや、もともと僕は寝てなかったんで、寝取られっていうのかどうか……」  優人はおもわず、箸をとめた。 「え、四年間つきあって、手えつけなかったの?」  誠一郎は、テーブルに視線をおとした。 「やっぱりおかしいですか? 彼女もそれが一番の不満だったみたいで。『愛されてないのかも』って不安になったって……あの、じつは僕にはちょっと……簡単にセックスできない事情もあったんですけど……それも説明したら、『結婚なんて考えられない』って言われてしまって。まあ、そこでおしまいです。そのときは正直、悲しいとかよりも虚脱感がすごくて。四年間育んだ信頼関係ってなんだったんだ、とか。僕にとってすごく大切だったものが、彼女には簡単に捨てられるものだったのか、とか。もう頭ぐるぐるしてきて。このままじゃいけない、と思って」 「そこで『そうだ、男を買おう!』ってなるか? 普通」  優人はわざとからかうように言った。誠一郎もつられたように、ひきつった顔で笑う。 「いや、なんですかね。一晩、誰かに見張っててもらわないと、どうしようもないことしでかしちゃいそうだったんですよ」  へたくそに笑いながら、中指の先でしきりと目尻をこする。当時を思い出して涙がうかんでしまうのを、必死でごまかしているようだ。 「自分か他人かはわからないけど、誰かを殺しちゃうとか、深く傷つけちゃうとか。とりかえしのつかないようなことをしちゃいそうで、自分で自分が恐くてしかたなかったんです。だから誰かに一緒にいてもらいたかったんです。でも女性を買うことは考えられませんでした。彼女とわかれて、すぐにそんな気にはなれなくて。同性の友人は、いろいろ詮索されそうで嫌でした。いや、きっと彼らに悪気はないと思うんですけど、僕が彼女を抱けなかったことを話すのはなんだか嫌だったので」  誠一郎は表情をごまかすように座り直し、正座していた足を崩した。優人もつられるようにあぐらをかいた。後ろにあるベッドに背中を寄りかからせる。 「そのときに思い出したんですよね。ウリ専の広告。同窓会の時につくった、高校時代の友達のLINEグループがあるんですけど、そのなかに噂話の好きなヤツがいて、時々AVやフーゾク店の広告のスクショあげては、『これってB組の誰々に似てねえ?』なんてやるんですよ。そこに、ユートさんがトップになったときの写真があって」 「気に入ってくれたんだ」 「不思議でした。普通にきれいな顔で、誰にでも好かれそうな笑顔で。それこそサービス業とかなんでもできそうなのに、こういう特殊な仕事をしているんだなあって」 「フーゾクはねー、究極のサービス業なの」  優人はまるで褒められたかのように笑い飛ばした。住所不定の未成年を雇ってくれる所などそうはない。 「今では僕もそう思います。それと、ユートさんは、キャッチフレーズっていうか、アオリ文句がすごくきいてて気になったので」  優人は目を丸くした。ホームページの作成は、店のマネージャー頭の勝田の仕事だった。時々デジカメで宣材写真の撮影を求められたが、それ以外は関わっていない。 「なに? 俺なんて?」 「え、ご存知なかったんですか……」  今度は誠一郎がきょとんとなった。 「売り文句なんてマネージャーまかせだっらからさあ。……なに、俺のとこ、なんて書いてあったの?」  誠一郎は、少し困ったように額の脇を指先でかいて、やがていった。 「他のボーイさんは『まごころをこめたサービスをこころがけています』とか『経験はあるのでテクニックはおまかせください』とか書いてあるのに、ユートさんのは『変態のみなさん、僕はそんなみなさんが大好きです!』って。やっぱ破壊力ありますよねえ」  優人は目を剥いた。焼き茄子のかけらが、入ってはいけないところに入りかけて、あわてて咳きこむ。 「くっそ、勝田! バカにしやがって。どおりで俺は、ひと癖もふた癖もある客ばっかりだったよ!」 「僕はすごく懐の深そうな、いいコピーだと思います」  まじめな顔つきでいう誠一郎に、優人はどなる。 「よくねえよ。俺は変態と同類だっていってんじゃん。ひでえよ」  むくれた優人に、誠一郎がふわりと笑った。 「でも、そんなコピーついてると、ユートさんはなんでも許してくれそうじゃないですか。セックスがうまくなくてもいいんだっていう気がするじゃないですか」 そして、またテーブルに視線をおとす。 「だから、指名できたと思うんです。ただ一緒にいてほしいっていうだけで」  優人は誠一郎の横顔をながめた。思い出せるだろうか、大学生だったという若い彼の姿を。なんだか思い出せないままなのはひどく損をしているような気がしてきて、優人はもどかしかった。 「マネージャーさんかな、電話に出た人が、人気者のユートさんが空いてるのはラッキーだっていってました。ホテルで待ってたら、ユートさんが来てくれて。スリムで顔がちっちゃくて、ほんとに写真のとおりのユートさんで……でもそのときは僕だけに、にこにこしてくれて。正直ちょっと緊張しました」 「でも、たぶん俺ら、えっちしてない、よね」  誠一郎はうなずいた。 「前金だからってまずお金精算して。ユートさんはお店に連絡して。シャワーに誘ってくれたんです。でも、僕はそれをことわりました。『一緒にいてくれればいいです』っていったら、じゃあ、ってぽいぽいって服脱いでベッドに入って。『一緒に寝よう』って添い寝してくれました」  優人は話を聞きながら頬杖をついて、思い出そうとする。たくさんの男たちの記憶の中から、誠一郎の匂いをみつけだそうとする。 「僕が布団に入ったら、あたりまえみたいに、シャツのボタンとベルトをはずされて、気がついたら下着だけになっていて。ちょっと焦ったんですけど、ユートさんは、黙ってぎゅうっと抱きしめてくれました。『あったかいね』って笑ってくれるんです。人の肌の感触ってこんなに気持ちいいんだって驚きました」  もう一度、誠一郎は目尻をおさえた。 「もうそこで限界だったんですよね。どばーっと涙と鼻水が出てきて。みっともなく泣き崩れる僕を、ユートさんは裸の胸が汚れるもかまわず、ずっと抱きかかえていてくれた」  まぶしいものを見るように、優人を見る。 「しばらくして泣き疲れたら、『マッサージしようか』って首や背中を撫でてくれたのも覚えています」  マッサージは優人の得意なものの一つだった。わざわざスポーツ医療関係者向けの講座を受けて、身につけたものだ。  客をうつぶせに寝かせて、腰のほうから背骨の両側をおしていく。これは、腰痛持ちの人なら、かなりの高確率で喜んでくれる。首のところまでまでいったら、肩のカーブにそって腕を撫でおろす。男性は大人になってからは、人に撫でてもらう体験が少ないから、これをすごく気に入る客もいた。彼もそのひとりだったのだろう。  優人は少し思い出せた気がした。おそらく、今よりも肉付きがよかった気がする。体格がいいのに、小柄な優人にすがるようにして泣き続けた青年の顔が、うっすらと記憶の底からうかびあがってきた。ラブホテルのピンク色のシーツの上で、立派な肩幅に腕がまわしきれずに、短髪の頭を抱くようにして添い寝したことも。 「……ひょっとして、肩撫でるやつか?」  優人は自分の肩を持ってみせた。 「ああ、それです。僕は人からそんなことしてもらったことないので、すごく気持ちよかったんです」 「それでそのままだったっけ?」  誠一郎は恥ずかしそうに眉をさげてうなずいた。 「時々思い出したみたいに、みっともなく僕が泣いて。でもユートさんはあきれたりしないで、ずっとつきあってくれました。泣いたら背中や肩を撫でて、ぐちゃぐちゃの顔をティッシュでふいて、時々水分とらせてくれて」 「だって、仕事だしね」  優人が苦笑していうと、誠一郎はまた真面目な顔にもどっていた。 「でも、本来はそういうお仕事じゃないじゃないですか。なのに、まるで子守りみたいなことさせてしまって。だからあとでちょっと心配になりました。プロとしてのあなたの矜持に傷をつけちゃったかな、とか」 「プロとしてのプライドなんて、俺には無いよ。さっきもいったけど、俺は変わった客が多かったしね。ニーズは人それぞれ。俺たちボーイはそれに答えるだけだし」 「でも、僕みたいなの、あんまりいませんよね」  優人はぼんやりと、あらかた空になった皿をながめた。豚肉の脂と野菜の小さな残骸がとりのこされている。 「いるよ。俺ね、普段は客の話とか絶対にしないけど。この人はもう天国にいるからいいかなあ。時効ってやつかな。昔のお得意さんで、しばらくご無沙汰でさ、ひさしぶりに呼ばれたら、ホテルじゃなくって病室なの。入院病棟なの。びっくりしたよ」  誠一郎の笑顔がこわばるのがわかった。反応に困っているようだ。それでも、優人は話をやめなかった。 「でさ、個室に入ったら、お客さんがベッドにいたんだけど、別人みたいにやせ細っててね。髪もなくなって毛糸の帽子かぶってるの。俺がカーテンめくって入ったら、ベッドサイドの椅子をさして『ここに座っててくれ。それだけでいい』っていうんだ。『私がこの部屋の窓から飛び降りないように一晩見張っててくれればそれでいい』って」  誠一郎が目を見開いた。 「そう、あんたみたいなこと言ってたよ。……ガンで余命告知を受けたんだって。その人はゲイで、妻や子供もいない。実家のほうとも若いときに断絶してからずっと連絡とってない状態で。天涯孤独ってわけ。病院側も家族に相談できないから、結局本人に告知っていう方法をとらざるをえなかったんだって」  懐かしむように優人は空中をながめた。 「もともと、スポーツ好きな人だったんだ。やれゴルフだ、スキーだ、スキューバっていつも真っ黒に日焼けしてたのに。血管の青さが透けるほど白い顔になってて、腕なんか枯れ枝みたいに肉がそげて、痛々しかった。もう血管がボロボロで点滴うつと、すぐに痣みたいになるんだって。その人が弱々しくいうんだ。『もう自分は世間からは用済みだし、本当はこんな醜い姿をユートに見せたくなかった。でも結局、今の私には、お金で買えるお前しかいないんだ』って。俺は、そんときも添い寝したよ。病院のベッドに入りこんで」  そして、優人は誠一郎にいらずらっぽく笑って見せた。こうすると片えくぼができるのを優人は心得ている。かつて営業スマイル、と思っていたあざとい笑い方だ。 「俺のちんこねえ、日頃の躾がいいからそういう大事なとき、ちゃあんと勃つの。俺の硬くなった股間さわらせて、『ほら、今でも俺はあんたの虜なんだから、はやく元気だしてエロいことしようよ』ってささやいたら……」 「なんて……?」 「『こんな病人に勃つなんて、本当にお前はどうしようもない変態だな』って笑いながら泣いてた」  ふふ、と優人は思い出し笑いをした。が、誠一郎のほうは、眉間にうっすら皺をよせたまま、ぐっと口をひきむすんできいていた。 「一晩、バカみたいにエロい話した。えっちなこと考えると、人って死ぬことを忘れられる気がするんだ。結局、気が抜けちゃって、自殺は思いとどまったみたいだよ。それからも何度か病室に呼んでくれたし、俺からも勝手にお見舞いにいった。天涯孤独って言ってたけど、いざとなったら姪御さんが現れて、お葬式もちゃんと出してくれたしね」  そして気持ちよくため息をついた。ひと仕事終わらせたような、充実感のあるため息だった。そばで誠一郎が真剣にきいてくれていることも、無関係ではなかったろう。 「まあ、そんなこともあったしね。えっちするだけの仕事じゃなかったんだよね、実際」  優人は、体を売っていた自分の過去を、こんなふうに感慨深く語っていることが不思議だった。

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