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第7話 恋、とは

「で?」 「でって?」  穂積は買ったおにぎりのセロファンを剥きながら、運転席の優人に話の続きをうながした。優人が「昔の客」の部屋でお泊まりデートをしてきた顛末を聞いているのだ。 「そのあとは?」 「なにも。時々腕まわしたり、背中や頭なでなでして添い寝しただけ。アホみたいに狭いシングルベッドで」  まったく、おっさんふたりでなにしてんだろーなー、と優人は毒づく。  優人の手にはカップ麺の白いポリエチレンカップがあった。蓋のすきまから、湯気と独特のスープの匂いがたちのぼっている。左手でカップ麺を持ち、右方の手でレジ袋から割り箸をとりだすと、口を使ってふたつに割った。  穂積が面白そうに目をすがめる。 「嘘だろ? ユートが同衾してる相手の股間をまさぐらないなんて、俺は信じない」  優人は、力なくため息をついた。 「俺だってまさぐりたいけどさ。なんかさあ、もし手をのばしてみて、竹林くんのちんこが死んだナマコみたいになってたら、俺ショックで立ち直れなくなりそうで。そのあとめちゃめちや気まずくなりそうで。恐くて触れなかった」 「だったら、勃たせるだけだろ?」  穂積が切れ長の目を挑戦的に細めて言った。 「そりゃね。少しでもピクっとしてたら、せっせと可愛がるけど。でもピクンともしてないふにゃふにゃを無理矢理しごくのは、もはや暴力でしょ」  穂積は明太子のおにぎりを口の前で持ったまま、しばらくぽかんとして優人の顔をながめていた。 「……お前、成長したな」 「穂積は俺を変質者だと思ってんの?」  穂積がくつくつ笑う声が、がらんとした車内に響いた。開け放たれたワゴンの窓から、五月の気持ちの良い風がふきぬける。  大型ショッピングセンターの屋上駐車場で昼休みを過ごしていた。水曜日は早帰りの幼稚園が多く、このあとはお迎えや習い事の送迎など、こまごまとした仕事がたてこんでいる。 「ふうん。最初に竹林くんの話をきいたときは、ちょっとうさん臭いと思ったけど。その人、ユートが遊びでは汚せない、なんて思いつめるような相手なの」  穂積の口調はからかうようでいて、嬉しそうでもあった。 「竹林くんは、今までのセフレとはちょっと違うタイプなんだよ。今でも白ブリーフはいてる清純派なんだよ!」  穂積があやうくおにぎりの飯粒をふきだしそうになって口を手でおさえた。 「俺さ、実は今週末もご飯食べに行くんだよ。『そろそろ鰹のタタキがうまいですよ』とかいうから、つい」 「なに、それじゃ、セフレじゃなくて飯友?」 「……俺が食べに行くっていうと、すげえ喜んでくれるんだよ。そうすると俺も嬉しくなるし」 「一緒にいると楽しいんだ?」  穂積はユートのひそかな気持ちを知っているのかもしれないと思う。ユートの心が自分をはなれ、他の男性に傾いていくのを、いいことだと思っているようだ。  優人は少し黙り、ぽつりともらした。 「楽しい。でも求めてはもらえない。それがこんなこたえるもんなんだって、初めてわかった」  ユートは、今まで自分の肉体を求めてくれる人としか、かかわってこなかった。穂積や仕事の同僚以外には。  誠一郎との関係は、自分のこれまでの人生のかたちにうまくはまらないピースをもちこんでしまったようだった。もてあましている。かといって捨てることもできない。なぜ、自分がこんなに煮えきらないのか、自分でもわからない。  うつむく優人に、穂積は励ますようなやさしい顔でささやく。 「お前さ、今になってやっとまともに恋愛してるんじゃないの?」  優人は納得のいかない顔で穂積をみつめる。  恋愛? 恋愛ってなに? 「ヤりたい」を綺麗に言っただけだろ、くだらねえな。  今までの優人ならそう笑い飛ばしていたと思う。  穂積は「ほら、麺がのびちゃうぞ」と軽快にいって、箸を持ったまま考えこんでいる優人の手を軽くたたいた。  昼休憩を終えて、運転を交代した。ハンドルを握っているのは穂積だ。午後の国道を軽快に飛ばすワゴン車の中で、着信音が響いた。  優人は自分の携帯を手にとった。運転席のアームレストについたトレイに置きっぱなしにしていたものだ。  LINEのメッセージが届いていた。送り主はゲンキ。売り専時代の後輩のひとりだった。アイコンは、髪を金髪に染めてこんがりやいた本人の写真だ。グレーのカラコンを入れていて、一見すると欧米人とのハーフのように見える。目を見開き、かの有名なアインシュタインの写真よろしく、銀色のピアスがのっかった舌を出していた。 「あいつ、変わんねーな」  優人はつぶやいた。 「誰?」  穂積がたずねる。共通の知り合いだとわかったのだろう。 「ゲンキ」 「あいつ、まだウリやってんの?」 「今は高田馬場の店らしいけど」  メッセージの全文を表示させた。 『ユートさん、お久しぶりっす。どうですか、今、フリーですか? だったらこのイベント行きません? 俺の知り合いが仕切ってるんで、今年も盛り上げて欲しいって頼まれてるんすよ』  イベント告知のスクリーンショットが貼られていた。場所は優人もよく知っているクラブだった。渋谷のラブホテル街の近くにあって、定期的にゲイ向けのイベントをやる小さめのハコだ。 『ユートさん来てくれたら、絶対ヤバイっすよ!』  それはクラブ全体がハッテン場になるイベントで、ホールで相手を物色して、気に入れば二階のミックスルームかVIP向けの個室に誘う形式だった。優人もそこで何度か遊んだことがある。  二年ほど前の記憶がよみがえった。あのときはホールで優人につきまとう男が複数いて互いにゆずらず、とうとう飲みくらべで決着をつけることになった。  ラウンジカウンターにショットグラスがならべられた。中身は「ショットガン」。手でグラスに蓋をして、バン、とテーブルに叩きつける。瞬間、ふきあがるように泡立つ炭酸水とテキーラを、男たちは次々とあけていった。優人は、それを女王のようにカウンターテーブルに腰かけて見おろしていた。見物人も集まってホールの熱気は最高潮だった。  結局最後は、酔いつぶれて倒れたひとりをのぞいて全員に体をまかせた。  さすがに最後は息があがり、足腰もふらふらした。自分から腰を振ることもできず、ただなされるがままに転がされ、硬い欲望に貫かれた。  快楽と疲労で朦朧としながら、突きあげられるたびに惰性のような短い喘ぎをもらすだけで精一杯だった。それでも酔っぱらいたちの熱い吐息は、優人に自分の価値がまだ落ちていないことを教えてくれた。  優人の武勇伝の一つでもある。 「ゲンキがなんの用だ? 金のことじゃないだろうな」  穂積は心配そうな顔をしている。このぶんだと「いくら仲が良くても、お金の貸し借りはいけません」と母親みたいなことを言い出しそうだ。 「いや、イベントだってさー。渋谷のハコだよ」  穂積が軽く眉を寄せた。ゲイの乱交イベントだということはわかっているのだ。  優人はウリ専をやめてからも何度かゲンキと食事に行った。一度だけ今の仕事に誘ったこともある。最初は本人も乗り気だった。しかし資格が必要だとわかると、とたんに面倒くさがって結局店に残った。  自嘲するように優人はこぼした。 「……穂積はさ、セックス以外なんの特技もない俺をここまでひきあげて、まともな仕事につかせてくれたけど。俺はあいつにとって、そこまでの存在にはなれなかったんだよなあ」  後輩とはいえゲンキも今はもう二十代後半で、若さの求められる水商売の世界では難しい年齢に達している。しょっちゅう店を変えているようで、どこへいっても、もはや思ったように客がつかなくなっているのだろうと、優人も容易に想像がついた。 「調子にのりやすいけど、悪い奴じゃないんだ。俺がもっと親身になってやればよかったのかなって時々思う」  穂積は前をみつめたまま、厳しい顔で話す。 「俺は違うと思う。そこはもう本人次第なんだ。あいつは金使いも荒いし、一度そういう生活を知ってランクを落とすのは大変なんだよ。ユートは最高で月にいくら稼いだ? 七十か? 八十か? それとも百いってたか? 今うちで出してやれる給料なんてその三分の一以下だろ。それでも毎日ちゃんと普通の生活やってる。どちらかというとお前のほうが少数派だろ」 「だって……俺は、穂積にくっついていくしかなかったから」 「そんなことはない。お前はそれを自分で選んだ。ゲンキは選ばなかったんだよ」  そういうことを言って支えてくれるから穂積が好きなんだ、と優人は思う。自分に足りない「自信」をさりげなく補って、前を向かせてくれる。  しかし、それは誠一郎に感じる、無傷のまま守ってやりたいような愛しさとは種類が違うようにも感じはじめている。  穂積はなめらかにブレーキをかけ、ワゴン車は速度をおとして側道に入った。三車線の国道をおり、細い道を折れた。中型マンションの並ぶ住宅街を徐行する。 「行かないだろ?」  ちらりと視線をよこして穂積が問う。 「行きたい、けど」 「まじで」 「最近ヤってないし。たまには、ぱーっとバカ騒ぎしたいし」  穂積はしばらく黙っていた。そしてふいに切り込んでくる。 「お前さ、そういうのに行くって、例の彼氏に説明できんの」  思わぬ言葉に、優人は一瞬絶句した。 「や……だって、竹林くんは俺がゲイで元ウリ専だって知ってるんだし」 「今は仕事じゃないんだぜ。ヤりたいから行きますって、お前その人に言えるの?」  優人はごくり、と唾をのんだ。  そもそもハッテン場やそういったたぐいの乱交会場が存在すること自体、誠一郎の常識では考えられないことだろう。そんなことをきかせて誠一郎がどんな顔をするのか――想像することを心が拒絶した。 「だ、黙って行く」 「うしろめたいの?」  穂積は容赦なく痛いところをついてくる。 「う……しろめたい。でもこんなの不公平だし。あいつは俺とヤれないんだから。俺だけ操(みさお)たてるなんておかしい。だいたい彼氏じゃないし」  ぶつぶつと言い訳をならべる優人を、穂積はひややかに一瞥した。 「正直に言えば?」 「なんて?」 「『あんたが抱いてくれないから、俺は男を漁りにいかがわしいイベントに行っちゃうよ』って」 「言えない! それは無理だって!」  思わず声を荒げた。そういう迫りかたはおかしい、と優人は思う。では誠一郎にとって優人はなんなのだろう。だんだん混乱してきた。 「なんで? それが真実だろ」 「……カッコ悪いじゃん。俺が竹林くんとすげえヤりたがってるみたいで。年上の余裕が感じられない」 「でも、すげえヤりたいんだろ。股間をまさぐりたいんだろ」  うう、と優人は頭をかかえた。そして、きっと顔をあげる。 「ううん。ヤれなくてもいいんだ。一緒に飯食うだけで俺は楽しいんだから」  穂積がくすりと笑った。 「強情っていうか、嘘つきだな」 「嘘つきでいい。竹林くんの前ではもうしばらく、この建前で頑張るんだ、俺」  優人は拳を口元にあてて、わざとらしくポーズを作った。 「で? 不完全燃焼だから隠れて他の男に抱かれるの?」  さすがユートだねえ、と意地悪な視線をよこして穂積がいった。涼やかな目元は、にらんでいてもうつくしい。  優人は今度こそ本当に両手で頭をかかえた。なぜ自分は、ヤれない相手ばかりに心を奪われる運命なのだろう。

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